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【東野圭吾】『夜明けの街で』の感想を好き勝手に語る【ネタバレあり】

これは地獄だ。甘い地獄なのだ。そこからどんなに逃れようと思っても、自分のなかにいる悪魔がそれを許さない。

(引用:夜明けの街で P80/東野圭吾)


今回は東野圭吾の『夜明けの街で』の感想を語っていく。
ネタバレNGの方はコチラをどうぞ。


感想

率直な感想としては、主人公である渡部が物語が進むごとに不倫の沼にはまっていく様子がとにかくリアル。


遊び人ではないし、家庭に不満はない。本人も「不倫をするやつなんて馬鹿」とまで言っている。それなのにいつの間にか、その底無し沼に足を突っ込んだかと思えばすぐに身動きがとれなくなっている。


悪いことなのは分かっている。不倫に対するボーダーラインが「一度だけなら...」から始まり「離婚する気がなければ...」と下がっていき自分自身を正当化していく様を見ていると、あぁこうやって人は知らず知らずのうちに堕ちていくのか、と感じた。


そんな泥沼にはまっていく渡部の心情を表した描写で心に残ったところがある。初めて秋葉と一線を越えてしまったあとのシーン。

こうして僕たちは、本来越えてはいけない境界線を跳び越えてしまった。越える前はその境界上には大きな壁が立っているのだと思っていた。だけど越えてしまうと、じつはそこには何もなく、壁は自分が作り出した幻覚だったと知るのだ。(中略)境界線の向こう側に、目眩がしそうなほど甘美な世界があると知っていて、これから永遠に踏み越えずにいられるだろうか。境界線の上には壁などなく、ひょいと一跨ぎすればいいだけのことと知ってしまった今となっては、それは非現実的なほど不可能に思えた。

(引用:夜明けの街で P73/東野圭吾)

「境界線上には壁はなく、壁は自分が作り出した幻覚だった」
これは不倫に関する事だけではないな、と。
未知の事には過大評価してしまいがちだが、いざやってみると大したことなかったというのは往々にしてあるものだと思う。(この場合悪いことだが)




渡部の友人、新谷のセリフはことごとく説得力に溢れていて感心してしまった。(前回記事の冒頭部分も彼のセリフである)

「いいことを教えてやる。赤い糸なんてのは、二人で紡いでいくもんなんだ。別れずにどちらかの死を看取った場合のみ、それは完成する。赤い糸で結ばれたってことになる」

(引用:夜明けの街で P143/東野圭吾)


他にも真意をついているセリフが多い。不倫に理解がありすぎるようにも思ったが、それも納得で文庫本には、おまけとして20ページほどの新谷の話が載っている。



全体を通しての感想とすれば、15年前の殺人事件の結末も読者の予想を裏切るどんでん返しが隠されていたが、やはりこの作品で印象に残るのは、不倫を通した人間関係や心情だ。


渡部が泥沼にはまっていく様子はもちろんの事。ラストシーンでの渡部と妻とのやり取りは忘れられない。作品の中では触れられなかった妻の心情を表す描写が痛々しい。


家庭の安定を守るためにすべてを気づかないふり。愛人と会うであろう夫を何も言わずに見送りだすのはどんな気持ちなんだろう。


そして最後には誰も幸せになれない。

なかなかに重く教訓になる一冊だった。

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『夜明けの街で』を紹介。不倫とは甘い地獄である【東野圭吾】

「謝るっていうのは、その時だけのことじゃないんだぞ。土下座は贖罪のスタートにすぎないんだ。で、それが終わる日は来ない。一生、謝罪の日が続くんだ。女房に頭は上がらず、家でも肩身の狭い思いをすることになる。どちらかが死ぬまでそれは続く」

(引用:夜明けの街で P129-130/東野圭吾)

今回は不倫を主軸にした東野圭吾のミステリー『夜明けの街で』を紹介する。


感想はコチラで書いてます。

『夜明けの街で』は2007年に刊行され、2011年には、岸谷五郎・深田恭子主演で映画化された作品である。


私は本書を読み終えてから知ったのだが、この作品は東野圭吾がサザンオールスターズの『LOVE AFFAIR~秘密のデート~』に感化されて書かれたらしい。


なるほど、確かにそう言われると歌い出しは「夜明けの街で~」からだし、歌詞の中には本書の場面を思わせる箇所がいくつも見受けられる。



あらすじ

不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた。
ところが僕はその台詞を自分に対して発しなければならなくなる―。建設会社に勤める渡部は、派遣社員の仲西秋葉と不倫の恋に墜ちた。2人の仲は急速に深まり、渡部は彼女が抱える複雑な事情を知ることになる。15年前、父親の愛人が殺される事件が起こり、秋葉はその容疑者とされているのだ。彼女は真犯人なのか?渡部の心は揺れ動く。まもなく事件は時効を迎えようとしていた…...。

(引用:夜明けの街で 裏表紙/東野圭吾)




見所

主人公目線

主人公である渡部は一部上場の会社に勤めいる。面倒見のよい妻と可愛らしい娘がいる、いわゆる普通の家族だ。
「不倫なんてするやつはバカ」と思っていた渡部が、思わぬ巡り会わせで不倫の泥沼にはまってしまう心理描写が恐いくらい丁寧に書かれている。


家族に不満があるわけでもない。むしろ恵まれていると言ってもいい。不倫に対しても批判的であった。そんな主人公が堕ちていく姿は妙にリアルで生々しい。


的確な表現

この記事冒頭の言葉は、主人公・渡部の友人である新谷の台詞である。


新谷の不倫に対しての考え、表現、例えがわかりやすく、思わず「なるほど、確かに」と納得してしまうほど説得力がある。


またそんな説得力のある新谷の話が、おまけとして番外編のような形で載っている。


ミステリー

不倫の事ばかりの紹介になってしまっていたが、そこは東野圭吾、もちろんミステリー特有のどんでん返しの展開も用意されているだろう!?


とは言うものの、やはり主軸は不倫による主人公の心理である事には変わりない。


終わりに

私個人の話をすると、このような不倫を主軸にした物語は初めて読んだ。何故、今までそのようなテーマの物語を読んでいなかったというと理由は単純明快、好きではないからだ。


最初では、ドラマや映画などで不倫や浮気をテーマにした作品がとても増えたと思う。また芸能人や政治家のそのようなニュースも毎日のように放送されている気がしてならない。


そんな他人の色恋沙汰を騒ぎ立てて何が楽しいのか理解に苦しむ所ではある。


この作品『夜明けの街で』を読もうと思ったきっかけは著者が東野圭吾だったからだ。彼のファンである以上、「嫌いなジャンルだから読まない」という選択肢はなかった。


まぁ結果としては食わず嫌いをせずに読んでよかったな、と。
人間、経験から学ばなければ分からないことも多い。だからといって学ぶために不倫をするほど馬鹿な事はない。そういった意味ではいい勉強になったと思う。


主人公の最初の立場、考え方は世の一般的男性のそれに近しいものがあると思うので、もし自分が主人公だったら...と思わず考えてしまうかもしれない。

この記事を読んだ方へのオススメ

『図書館の魔女』″キリヒト″について考える【高田大介】

″言葉″のファンタジー『図書館の魔女』
今回はその主要な登場人物である″キリヒト″について思ったことを書いていく。


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がっつりネタバレには触れてしまうので未読の方はコチラをどうぞ。


″キリヒト″の謎

キリヒトの正体は2巻の後半で明らかになり、その場面では度肝を抜かれた方も多いことだろう。


キリヒトからの証言、また図書館メンバーたちの推論も2巻の後半でなされているが、まだまだ″キリヒト″の謎は明らかになっていない部分が多い。(図書館の魔女1~4巻の時点では)



″キリヒト″について

先代の″キリヒト″が今のキリヒトの先生のようだが、″キリヒト″について現時点での情報をまとめる。

キリヒトからの証言

・″キリヒト″は一子相伝で名を譲り、各代に一人
・″キリヒト″になれるものが出る家系がある
・先生は浅黒い肌、背は高くなく、痩せがた、眼は黒、白髪でだいぶ抜けている。
・先生はキリヒトの父親

マツリカの十年前の記憶での″キリヒト″

・キリヒトに似ていない
・キリヒトの父親というには、歳がいき過ぎている
・キリヒト同様、足音がしない
・黒の杖を持っていた。

ハルカゼの疑問

マツリカは先代のキリヒトを思い返して、(中略)キリヒトは先代の老齢になってからの子だというのだろうか。たとえば必要があって血を残さなければならなかったとか......
だとすればこれがキリヒトし自身の言葉とは微妙に矛盾する。キリヒトは「先生」の様子を聞かれて「十年前ともなれば様子が違っているかもしれない」などと言っていた。若年のものならともかく、ある程度の高齢にあるものならば十年で「様子が違っ」たりするものだろうか。なにか不自然だ。なにか証言の間に微妙な齟齬がある。

(引用:図書館の魔女 第2巻 P417/高田大介)

マツリカとハルカゼの会話より

・ロワンが若いときにエレニカという場所で先代の″キリヒト″と出会う
・先代″キリヒト″は海峡向こうで武術と兵法の訓練係だった。
・ロワンが先代″キリヒト″をタイキに紹介し、一ノ谷にやってきた。
・十年前まで一ノ谷にいた。

鍛冶の里の親方

「里を出るんだってな」一番鎚の大男が聞く。
「ああ。戻ってくるって言ってたけど」黒石は鎚を振り上げて構えに入った。
「キリヒトはすぐには戻ってこない。戻ってきた例はない」
親方は炉の火から目を離すことなく、黒石を窘めるように呟いた。(中略)戻ってきた例は無いって、親爺は誰のことを言ってるんだろう?

(引用:図書館の魔女 第1巻 P22/高田大介)


考察

※以下ではわかりやすくするため、主人公であるキリヒトはアカリと呼んで進める。またアカリの先生は先代と呼んで進める。

鍛冶の里の親方は「キリヒトはすぐには戻ってこない。戻ってきた例はない」と言っているが、黒石が言うようにこの″キリヒト″は誰を指すのだろうか。


このキリヒトがアカリを指していることはないだろう。もしそうなら黒石は疑問を抱くことはないはずだ。


では、このキリヒトは先代を指すのだろうか。その様に仮定すると、親方は先代であるキリヒトとアカリであるキリヒトの両方を知っていることになる。


親方はキリヒトの名を譲ることを知っていると考えるのが妥当だろう。もしかしたらもう少し細かい事情も知っているのかもしれない。


しかし親方の言うキリヒトが先代であったとしても、疑問の残る点がある。
「キリヒトはすぐには戻ってこない。戻ってきた例はない」
この表現から察するに、先代は鍛冶の里を出てしばらくしてから(何ヵ月?何年?)帰って来たということになる。


では何故里をでて、しばらく戻れなかったのか?
一番妥当なのは『起こらなかった第三次同盟市戦争』の書簡を配っていたためではないだろうか。


しかしそうするとまた新たな疑問が出て来てしまう。
第1に何故、先代は鍛冶の里にいたのか。
第2にアカリはどうしたのか。


ハルカゼとマツリカの会話より先代は元々鍛冶の里にいたわけではなく、海峡向こうから約10年前に一ノ谷に来たことが伺える。一ノ谷に来た理由は当然、書簡を届けるため、それとタイキの護衛としてだろう。


そうすると第1の疑問、何故先代は鍛冶の里にいたのか?
一ノ谷から3日はかかる鍛冶の里。タイキのために一ノ谷に来た先代が、わざわざ鍛冶の里に行く理由が見当たらない。


唯一の理由があるとすればアカリの修行のためとは考えられるが、10年前ともなればアカリはまだ2~3歳くらい。


先代とアカリが同じ時期に鍛冶の里にやって来たとすると、第2の疑問、アカリはいったいどうしたのか?


書簡の配達のため、危険な海峡向こうへ一緒に渡ったとは考えにくい。しかし幼子のアカリを鍛冶の里に置いていくのも考えにくい。


堂々巡りである。
謎が謎を呼んでわけがわからなくなってくる。


キリヒトの父親にしては歳がいきすぎているというマツリカの言葉や、ハルカゼの気づいた矛盾を考えるとキリヒトはアカリと先代とは別にもう一人いた。
と考えても面白いかもしれない。

『図書館の魔女』を紹介する。口のきけない魔女の物語はすべての読書家に捧げたい1冊だった【高田大介】

図書館にある書物は、すべてが互いに関連しあって一つの稠密な世界を形づくっている。(中略)図書館は人の知りうる世界の縮図なんだ。図書館に携わるものの驕りを込めて言わせてもらえば、図書館こそ世界なんだよ。

(引用:図書館の魔女1巻 94P/高田大介)


「いつまでもこの物語の世界に浸っていたい。読み終えてしまいたくない。」と思った作品はこの『図書館の魔女』が初めてだった。

間違いなく私の読書人生の中で一番好きな作品になった。


文庫本では第1巻~第4巻で構成されており、合計のページは1800ページを越える長編作品だが、ページ数もさることながら内容が非常に濃密であった。


今回はそんな『図書館の魔女』の魅力をあらすじ以上、重要なネタバレ未満で伝えられればと思う。

あらすじ

鍛冶の里に生まれ育った少年キリヒトは、王宮の命により、史上最古の図書館に暮らす「高い塔の魔女(ソルシエール)」マツリカに仕えることになる。古今の書物を繙き、数多の言語を操って策を巡らせるがゆえ、「魔女」と恐れられる彼女は、自分の声を持たないうら若き少女だった。超弩級異世界ファンタジー全四巻、ここに始まる!図書館のある一ノ谷は、海を挟んで接する大国ニザマの剥き出しの覇権意識により、重大な危機に晒されていた。マツリカ率いる図書館は、軍縮を提案するも、ニザマ側は一ノ谷政界を混乱させるべく、重鎮政治家に刺客を放つ。マツリカはその智慧と機転で暗殺計画を蹉跌に追い込むが、次の凶刃は自身に及ぶ!深刻な麦の不作に苦しむアルデシュは、背後に接するニザマに嗾けられ、今まさに一ノ谷に戦端を開こうとしていた。高い塔のマツリカは、アルデシュの穀倉を回復する奇策を見出し、戦争を回避せんとする。しかし、彼女の誤算は、雄弁に言葉を紡ぐ自身の利き腕、左手を狙った敵の罠を見過ごしていたことにあった。手を汚さずして海峡に覇権を及ぼす、ニザマの宦官宰相ミツクビの策謀に対し、マツリカは三国和睦会議の実現に動く。列座したのは、宦官宰相の専横に甘んじてきたニザマ帝、アルデシュ、一ノ谷の代表団。和議は成るのか。そして、マツリカの左手を縛めた傀儡師の行方は?超大作完結編。第45回メフィスト賞受賞作。

(引用:図書館の魔女1~4巻 裏表紙/高田大介)


魅力

広大な世界観

タイトルは「図書館の″魔女″」だが魔術で物を浮かせたりだとか、大釜で怪しげな薬を作っていたりだとかそんなことはない。ファンタジーに出てくるような竜だとか、伝説の剣だとか魔法もでてくるわけではない。


むしろファンタジーなのに非現実的要素を全否定するような場面すらある。


また物語の世界感が驚くくらい詳細に述べられており、架空世界であることを忘れてしまう程だった。自然、言語、人種、軍事、政治、建築、地政学など幅広い分野の話が出てくるが、どれをとっても内容が深く著者の造詣の深さが伺える。

登場人物

物語の登場人物はどのキャラクターも魅力的で個人的に好きなキャラクターばかりだ。ここでは主人公である『マツリカ』と『キリヒト』に絞って紹介する。

図書館の魔女『マツリカ』

マツリカの年齢はまだ若く、物語の中でも「うら若き少女」と表現されていた。(年齢は12~14歳くらいだろうか?)
が、しかしその風貌とは裏腹に頭脳明晰で知識、観察力、推理力あらゆる能力がずば抜けている。わずかな手掛かりから真実を導きだす様は、凄腕の探偵を連想させられた。


しかし、そんな彼女は声を持たない。

いくつもの言語を修得しているマツリカだが、口をきくことができないため手話によってコミュニケーションをとる。


そのため手話がわからない相手とは手話通訳を通さなければ、会話を進めることができなかったり、通訳を通すことで相手とのタイムラグが出来たりと手話による表現に限界を感じている。

鍛冶の里の少年『キリヒト』

マツリカの手話通訳として鍛冶の里からやってきたのがもう一人の主人公であるキリヒト。


常人を上回る、察知能力を持った少年で、歳はマツリカと同じくらいであろうか?


読み書きはまったく出来ないが、その感覚の鋭さをかわれ、マツリカにつかえることになる。

言葉

図書館の魔女が操るのは″言葉″のみ。剣をとらずに世界を変えていくマツリカの″言葉″の力に圧倒されずにはいられない。


また、著者の高田大介さんは言語学者である。そのためか作中に出てくる言葉も難しく、今まで見たことがない言葉がいくつもあった。


例えば「杣道(そまみち)」という言葉をご存知だろうか?1巻の最初のページから出てくる言葉なのだが、恥ずかしながら私は初めて見た。

意味は「細くけわしい山道」


なるほど、語彙力があるとはこういう人の事を言うのだな、と思わずにはいられなかった。


このやや難解なくらいの言葉のチョイスが、″言葉をテーマにしたファンタジー″であるこの作品には丁度いいのかもしれない。

最後に

冒頭に述べたように全4冊と重厚な本書であるが、1巻の序盤1/3くらい(キリヒトとマツリカが出会うまで)はなかなかに読みづらい印象を受けた。


しかしそこさえ過ぎてしまえば加速度的に面白くなり、物語に没頭できると思う。



関連記事

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』映画と小説の違いをまとめる。【東野圭吾】

映画ではある程度の時間的制約が設けられるため、原作である小説や漫画の良さをすべて伝える事は難しい。


しかしそれを補うのが原作にはないアレンジだったり、小説や漫画には出せない音や映像による演出だ。


原作を知ってなお映画を見たいと思うのは、余程その原作が好きというのもある。しかし私がそれ以上に思うのは、小説の場合『文字を読んで自分のイメージしていた世界と実際に映像化された世界との答え合わせがしたい』という感情が大きいのだと思う。



さて、今回は東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』について、映画版と小説版の違いを覚えている範囲でまとめていく。


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※ネタバレありなので、ネタバレNGの方はこちらをどうぞ。
【小説紹介】

【映画紹介】




映画と原作の相違点

映画でカットされた部分

まずは原作にはあるが映画ではカットされている部分についてだが大きくカットされている部分は2箇所ある。


一つ目
第一章 『回答は牛乳箱に』より
原作ではナミヤ雑貨店に忍び込んだ3人に最初に届く手紙は『月のうさぎ』からの相談だが、これは丸ごとカットされている。


二つ目
第四章 『黙祷はビートルズで』より
第一章と同じくこの章の『ポール・レノン』からの相談も丸ごとカットされている。




原作では
第一章 『回答は牛乳箱に』
第二章 『夜明けにハーモニカを』
第三章 『シビックで朝まで』
第四章 『黙祷はビートルズで』
第五章 『空の上か祈りを』
の一~五章で構成されているが、それのうち2章分が、ほぼ丸ごと抜けている。


それにともない残りの3章分の内容も、抜けた2章との関わりがある部分がカットされ、若干内容が薄くなっている感は否めない。


詳しく挙げていく
第五章 『空の上から祈りを』 より
この章では『迷える子犬』こと武藤晴美から相談を受ける。


何故『迷える子犬』というペンネームになったのか?また彼女が立ち上げた社名が何故『リトル・ドッグ』なのか?その疑問は第四章『黙祷はビートルズで』の相談者『ポール・レノン』こと藤川博との話で解決できる。


藤川博から丸光園時代に貰った手彫りの犬をお守り代わりにずっと持っていたことが『迷える子犬 』の名前に繋がっているのだが、その辺の詳細は映画では語られていない。


また、武藤晴美がナミヤ雑貨店を知った経緯、そして信頼するにあたった理由は第一章の相談者『月のうさぎ』こと北沢静子との関わりで明らかになるのだが、北沢静子は映画では登場しないので、その辺の詳細もカットされている。


時間の流れ
原作では、ナミヤ雑貨店の店内と外とでは時間の流れが違く、店内では外と比べてとてもゆっくりと時間が流れているとあったが、映画ではこの設定は触れられていなかった。



原作にはないアレンジ

では逆に原作にはなかった映画版ならではのアレンジは何があったのか?


悪事を働いた三人組について
強盗をしてナミヤ雑貨店に逃げ込んだ三人組、敦也・翔太・幸平

映画版では序盤、ナミヤ雑貨店の雰囲気に違和感を覚え、店をでて商店街を走り抜けるシーンがあった。(原作では、ナミヤ雑貨店から少し出るくらいで、三人が商店街へは行かない)


そこでいくら走っても同じ場所をループしたり、バスをすり抜けたり、いつの間にかにナミヤ雑貨店の前にワープしていたりと、いかにも不思議な世界に迷い混んだしまったような演出があった。


そして商店街から寂れた様子はなく、過去に飛んでいるような印象を受けた。


また、映画では原作以上にこの三人に焦点を当てて心情や葛藤が描かれていた。
現状を変えたいと思ってはいるが、心の底ではそんなことは無理だという感情が支配してしまっている三人。


敦也と他二人の意見が対立する場面が原作にもあるが、映画では敦也が翔太を殴ってしまう場面もあった。


さらに、原作では三人がナミヤ雑貨店の店主『波矢雄治』から白紙の手紙の返事を読んで終わるのだが、映画では三人のその後も少し描かれていて、武藤晴美を助けに行くシーンと、三人が更正して働いているシーンが加わっていた。



未来からの手紙

ナミヤ雑貨店店主・波矢雄治が未来からの手紙を受けとるシーン。原作では息子の波矢貴之と内容を見る場面。映画では貴之の代わりに、過去に波矢雄治と駆け落ちをしようとしていた、丸光園の初代園長である明子が登場する。


しかしすでに亡くなっている明子、幽霊だったのか、雄治が見た幻覚だったのかは定かではない。




まとめ

誤解がないように言っておきたいのだが、今回映画版に対して厳しめの意見を述べてしまっているが映画が決してつまらなかった訳ではない。むしろ原作を知っていてなお、面白かったと思えるくらいだ。


抜けた2章を敦也たち三人組に焦点を当てて補ったり、他の3章の内容を際立っていたと思う。


特に『夜明けにハーモニカを』は映画のほうが好きだ。もう涙止まりませんでした。


『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は小説、映画共にそれぞれの良さがある素晴らしい作品だと思います。

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【東野圭吾】小説『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を紹介する。

『悪事を働いた3人の元にきたのは過去から届いた手紙だった!?』


どうも、FGです。
今回は東野圭吾の小説『ナミヤ雑貨店の奇蹟』をあらすじ以上ネタバレ未満で紹介します。


2017年9月に映画化したこの作品、映画のほうも原作とは一味違った面白さを堪能できました。

映画版の紹介&感想はこちらをどうぞ


あらすじ

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されてのか?
3人は戸惑いながらも当時の店主・波矢雄治に代わって返事を書くが・・・。次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?

(引用:ナミヤ雑貨店の奇蹟 裏表紙/東野圭吾)

第一章 回答は牛乳箱に
「病気の彼の側にいるべきか、彼の言うとおりに夢を追うべきかどうしたらよいでしょうか?」
月のうさぎ より


第二章 夜明けにハーモニカを
「家業の魚屋を継ぐべきか、諦めずにミュージシャンを続けるべきかどっちがいいでしょう?」
魚屋ミュージシャン より


第三章 シビックで朝まで
「妻子持ちの男性の子供を妊娠してしまいました。産みたい気持ちが大きいのですが、現実を考えるとやはり堕ろすべきでしょうか?」
グリーンリバー より


第四章 黙祷はビートルズで
「お父さんとお母さんは夜逃げをすると言っています。僕はなんとかやめさせたいです。どうすればいいでしょうか?」
ポール・レノン より


第五章 空の上から祈りを
「昼は会社で、夜はホステスとして働いています。経済面などを考慮するとOLを続けることに疑問を感じています。どうすれば、みんなの理解を得られ、穏便に会社を辞められるでしょうか?」
迷える子犬 より

見所

ヒューマンドラマ

各章ごとに新たな相談が舞い込んでくるのだが、その一つひとつが深い。感動するものもあれば、思わず涙が溢れる話もあるだろう。

ミステリー

もちろん東野圭吾がただのヒューマンドラマだけでは終わらない。なぜ、過去から手紙が?雑貨店と児童養護施設との関わりは?次第に明らかになる事実に手がとまらなくなる。

回答とその後

様々な相談者からの難問に『ナミヤ雑貨店 』はどのような回答を示すのか?そしてその答えをもらった相談者はどのような未来を歩むのか?



読み終えて

個人的には、第二章の『夜明けにハーモニカ』と、第五章の『空の上から祈りを』の話が心に残った。


また章ごとに新しい相談者の話になるのだが、完全に独立した話という訳ではなく、端々で繋がっている。その辺も意識して見つけてみると面白いだろう。


『東野圭吾史上、最も泣ける作品』との触れ込みもあるが、それに恥じない感動と、心暖まるストーリーだった。

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【東野圭吾】映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の紹介&感想を好き勝手に語る

どうも、FGです。

2017年9月23日から公開されている映画、東野圭吾原作の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を観てきたので、紹介と感想を語っていく。


原作の紹介はコチラ

紹介

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』とは

2012年3月に単行本が発売された東野圭吾の作品である。

「悩み相談、未来を知っている私にお任せください。」
「あの時の回答は、あなたを救いましたか?」
「東野圭吾史上、最も泣ける感動作」
などをキャッチコピーに2017年現在で全世界累計部数が1000万部を突破した人気作品である。


あらすじ

悪事を働いた3人が逃げ込んだ古い家。そこはかつて悩み相談を請け負っていた雑貨店だった。廃業しているはずの店内に、突然シャッターの郵便口から悩み相談の手紙が落ちてきた。時空を超えて過去から投函されてのか?
3人は戸惑いながらも当時の店主・波矢雄治に代わって返事を書くが・・・。次第に明らかになる雑貨店の秘密と、ある児童養護施設との関係。悩める人々を救ってきた雑貨店は、最後に再び奇蹟を起こせるか!?

(引用:ナミヤ雑貨店の奇蹟 裏表紙/東野圭吾)



感想(ネタバレなし)

映画は原作にほぼほぼ忠実であったと思う。もちろん時間の都合でカットしている部分はあるし、若干のオリジナルストーリーはあった。


しかし、原作大好きな私としても許せる範囲だったし、むしろいいスパイスだったと思う。


物語の中盤にミュージシャンの話があるのだが、その場面では涙が止まらなかった。


ひとつ気になった点としては、時系列が少し分かりにくいかもしれない。私は原作を知っていたので問題なかったが、そうでない方は注意しながら見たほうがいいかもしれない。


東野圭吾ファンはもちろん、そうでない方にもオススメの一作であると思う。


※以下ネタバレありの感想











この『ナミヤ雑貨店の奇蹟』だが、実は私が東野圭吾の作品の中で一番好きな作品である。


普段、映画はあんまり見ないのだが『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はあまりの見たさに、初めて一人で映画館に足をのばした。一人映画もいいものですね。



さて、一言で感想を言うなら『大満足』だった。

語りだしたらきりがないので、個人的に良かった点と残念だった点を一つずつ、あげようと思う。



原作で一番心に残っているのが、魚屋ミュージシャンの『再生(REBORN)』の話。原作では思わず涙してしまったシーン。


映画で見ても涙がとまらんかったわ。むしろ映画のほうが泣いた。


何が一番良かったかって、『再生』の歌が聴けたことですね。どうしても小説で歌は聴けませんからね。


原作を読んでいるときも『再生』ってどんなメロディーで、どんな詞がついているんだろう?ってずっと考えていたんですよ。


物語の中でセリ役、門脇麦さんの歌声を聴けて本当に良かった。一言ひとこと、魂が込められているような歌声、そして涙声に心が揺さぶられました。






逆に個人的に少し残念...というよりは見たかったシーンがあったんですけど、原作のラストでナミヤのじいさんのひ孫が活躍するシーン。(原作ネタバレになるので詳しくは省きます)
それがあれば私的には、もう何も言うことなしでした。



まとめ

最後に声を大にして言いたいのは、「映画を観て満足のいくものだったなら、是非原作を読んでもらいたい」ということ。


原作にはない映画の良いところがあるように、映画にはない原作の良さがそれ以上にあるのが、この『ナミヤ雑貨店の奇蹟』だと思う。

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