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『虚ろな十字架』の感想を好き勝手に語る【東野圭吾】


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よく、「死んで償う」という言葉が使われるが、遺族にしてみれば犯人の死など「償い」でも何度でもない。それは悲しみを乗り越えていくための単なる通過点だ。

(引用:虚ろな十字架P155/東野圭吾)


タイトルのつけかたが秀逸。本文に出てきたときに思わず「なるほどなぁ」となった。


ということで、東野圭吾の『虚ろな十字架』の感想を語っていく。ネタバレありで書いていくので未読の方はご注意下さい。






感想

テーマは主に死刑について扱っていて、事件の内容も重い。死刑などの重いテーマ...普段の生活では触れることのないことを考えさせられる東野圭吾らしいミステリーだった。


ストーリーも序盤から引き込まれる。
冒頭で史也と沙織がでてくる。しばらくして史也は登場するが沙織がでてこない。


いざでてきたと思ったら以前恋仲であったとは思えないほどの真逆の生活。


二人に一体なにがあったのだろう?子供を殺害された中原たちとどう繋がっていくのだろう?といつの間にか物語に没頭していた。


そして複数の事件の真相と複雑に絡み合った人間関係。ラストではそれがキレイにほぐれる。


とくに史也の異常ともいえるような優しさ、寛容さはどこか裏があるような感じがしたが、その優しさに隠された過去の真相を知ってしまうと胸にくるものがある。


ミステリーとしても納得の作品だが、やはり『虚ろな十字架』において心に突き刺さったのは死刑、そして刑罰などのヘビーな話。


刺さったセリフ

そしてたぶん死刑判決は出ない。路上で一人の女性を殺害して金を奪った──この程度の「軽い罪」では死刑にはならない。それがこの国の法律だ。

(引用:虚ろな十字架P101/東野圭吾)

よく、「死んで償う」という言葉が使われるが、遺族にしてみれば犯人の死など「償い」でも何度でもない。それは悲しみを乗り越えていくための単なる通過点だ。しかも、それを通り過ぎたからといって、その先の道筋が見えてくるわけではない。

(引用:虚ろな十字架P155-156/東野圭吾)


一体どこの誰に、「この殺人犯は刑務所に○○年入れておけば真人間になる」などと断言できるだろう。殺人者をそんな虚ろな十字架に縛り付けることに、どんな意味があるというのか。

(引用:虚ろな十字架P174/東野圭吾)


刑務所に入れられながらも反省しない人間など、いくらでもいます。そんな人間が背負う十字架なんか、虚ろなものかもしれません。でも主人が背負ってきた十字架は、決してそんなものじゃない。重い重い、とても重い十字架です。中原さん、かつてお子様を殺されたご遺族としてお答えください。ただ刑務所で過ごすのと、主人のような生き方と、どちらのほうが真の償いだと思いますか」

(引用:虚ろな十字架P344/東野圭吾)

その子のために悲しんだのは、あんたらだけだ。それなのに刑務所か?家族と引き離して懲役か。それのどこに意味がある?教えてくれ。あんたが今自首をして刑務所に入ったら、どんないいことがあるんだ。ただの気休めじゃないか」

(引用:虚ろな十字架P359/東野圭吾)


著者の一番言いたかったことはP344のことではないかと思った。


刑務所に入れられながらも反省しない人間と、史也のように自らで重い十字架を背負った人間...どちらが本当に償いをしているのか?


また、再犯率も決して低いとは言えない現代の刑務所システムにも言及しているセリフである。



私は「目には目を、歯には歯を」の考え方なので、「殺人には死刑を」について記事にしていた中原の妻・小夜子の考え方に概ね賛成だった。


最初は。


ただP344のセリフを読んで、その考えが揺らいだ。刑務所なんかに入らなくても史也のように悔い改めている人間もいる。


それに医者という仕事を考えれば、救ってきた命は数えきれないだろうし、自殺をしようとしていた花恵とその子供を救っている。


このような人物が死刑になっていいはずがないだろう。


P344のセリフに対して中原は
「人を殺したものは、どう償うべきか。この問いに、たぶん模範解答はないと思います」
と返答する。


...難しいなぁ。このやり取りを忘れることはないだろう。


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