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『黒猫の三角』の感想を好き勝手に語る【森博嗣】

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「遊びで人を殺している、とおっしゃるのですか?」
「遊びで殺すのが一番健全だぞ」

(引用:黒猫の三角 P47/森博嗣)



今回は森博嗣の『黒猫の三角』の感想を語っていく。ネタバレNGの方は読まない事をおすすめする。



目次

感想

保呂草と紅子の会話が面白い。今までの自分の価値観や常識が揺さぶられるようだった。個人的には『黒猫の三角』一番の見所だと思う。


その様子はS&Mシリーズの犀川と四季のやり取りを彷彿とさせる。保呂草、紅子、犀川、四季、この4人の共通点は言わずもがな「天才」な事だ。(四季が飛び抜けてる気がするが)


保呂草と紅子のやり取りが面白いと感じるのは、『黒猫の三角』の物語にある表現を借りれば私が「理不尽さも鵜呑みにできる鈍い連中(P375)」だからだろう。


天才の思考なんて持ってない。そのため彼らのやり取りに、天才の思考に触れることは、今まで自分が考えた事もないような自由な思考、価値観を示してくれる。まぁ示してくれるだけで、理解しきれるかという事とは、別問題だ。


印象に残ったセリフ・名言

「遊びで人を殺している、とおっしゃるのですか?」
「遊びで殺すのが一番健全だぞ」紅子はこともなげに答える。「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っているからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」
「お嬢様、それはお言葉が過ぎます」
「では何か?宗教的な儀式だとか、復讐に燃えるといった恨み辛みがあれば、それで正義だと言うのか?復讐ならば正義か?理由さえしっかりしていれば、殺人を犯しても良いのか?もしそうならば、殺人の許可証を区役所で発行したらどうだ?」

(引用:黒猫の三角 P47/森博嗣)


「僕は、それが知りたいな。人を殺してはいけない、ということになっているけど、でも、虫や植物は殺しても良い。意味もなく殺しても罪にはならない。魚や鳥、牛や豚も殺されますね。じゃあ、人間はどうか……、日本だけで一年に何万人もの人が自殺をしています。事業に失敗して、受験に失敗して、恋愛に失敗して、人は自殺する。それはつまり、誰かが成功したからではありませんか? 人は人を蹴落として這い上がろうとする。良い成績を取り、良い業績を上げ、人より得をし、人よりも幸せになろうとする。それで、敗れた者のうち何人かは、死んでいく。そうじゃありませんか? だとしたら、僕らは誰だって、知らず知らずのうちに、間接的に他人を殺していることになる。誰も殺さないでいたいのなら、勉強をしたり、仕事をしてはいけない。お金を儲けたり、得をしてはいけない。幸せになってはいけないことになる。戦争みたいな単純でわかりやすい人殺し以外にも、同じような殺し合いは、日常的に行われている。そうじゃありませんか?」

(引用:黒猫の三角 P373-374/森博嗣)


「沢山の固定観念が作られる。どんどんどんどん、その固定観念で人間は鈍化していく、それが、歳をとるってことだ。何故か?それが一番安全で、楽ちんだからです。人を殺すことは道徳的ではない。年寄りはいたばるべきだ。友情は美しい。努力は報われる。こういうのって、一体何でしょう?どこの誰が、こんな陳腐の法則を考え出したんでしょうね?まあ人類の九十九パーセントは、こういった理不尽さも鵜呑みにできる鈍い連中ですから、彼らを統治するために、一応のガイドラインを作っておかなくてはまずい...... そう、たぶん、そんな発想だったんでしょう。世の中には、テンプレートが必要なんです。定規がないと、線も引けない連中が多い。何かないと不安なんです。自由な思考、自由な価値観を持つことが恐い。そんな連中で溢れているんですよ」

(引用:黒猫の三角 p374-375/森博嗣)


「その、人間の証に、何の価値がありますか?」

(引用:黒猫の三角 P400/森博嗣)


「貴女は率直にものを言う人だ。でも、残念ながら、そういった感情は僕には無縁です。友情ですか?それは、単なる思い込みですよね。実体は、存在しない。友情というものは、信頼できる友人がいる幸せな自分、それを思い描くための小道具に過ぎません。意図的にそう思い込ませている。うーん、つまりは、ドレスみたいなものですよ。それを着ると綺麗に見える、という思い込みです。共通認識、あるいは約束、といっても同じかな。他人に支配されたい人間、思考を停止したい人間たちの持つ馬鹿馬鹿しい価値観の一つです」

(引用:黒猫の三角 P412 /森博嗣)


ストーリーに関して

私は『黒猫の三角』について予備知識が全くない状態で読み始めた。裏表紙のあらすじには「Vシリーズ第一作」とあったが、何の「V」なのかは把握していなかったが、「紅子」のイニシャルである「V」だったとは...。


保呂草が探偵という事で、勝手に彼が犯人という選択を排除してしまっていた。なので、紅子と保呂草のラストシーンは驚きの連続だった。


驚きつつ読み進める中で「いや、まだどんでん返しがあるのでは...!?」と考えてもいた。


だって、一年に一度、ゾロ目の日付にゾロ目の年齢の人間が殺されるなんて、必ず何かしらの意味が隠されていると勘ぐってしまう。


あとがきで皇 名月さんも同じような感想を語っていた。よかった、私だけではなかった。と、いうよりは皆この作者が仕掛けた罠にハマってしまっているのではと思ってしまう。(負け惜しみ)


それくらい見事に作者の手の上で踊らされていた。



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