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十二国記『華胥の幽夢』の感想を好き勝手に語る【小野不由美】


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陽子は鳥を、書卓の脇にある棚の上に留まらせた。そっと翼を撫でてやる。
鳥は語る。この世界で最初に得た友人の言葉を。──彼の声で。

(引用:華胥の幽夢 P166/小野不由美)

十二国記の短編集『華胥の幽夢』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。




目次

感想

──冬栄

泰麒がひたすらに愛らしい話。廉王と泰麒のやりとりが和む。廉王みたいな平和な王もいるんだね。漣の国が安定していて平和だったからこそ、廉王みたいな人物が選ばれたんだろうなと思う。


いたずらに改革などを行って国を乱さない。ただ、ゆったりと見守り続けるような王。緊張感が漂っている戴国とは真逆の印象。


ただひとつ疑問があって、何故、ただの農夫が王に選ばれたのか?こんな性格の漣王が昇山するとは思えないし、なにか特別に理由で王に選ばれたとのかなと思ったり思わなかったり。


自分になにができるのだろうと葛藤を抱える泰麒に漣王が助言をくれるのだが、その答えがまた…いい。「動き廻って何かをするだけが仕事じゃない、見守るのも大切な仕事」泰麒にもできる…いや、泰麒にしかできない大切な役割。


そして驍宗自身も泰麒のその役割をしっかり把握していて、やっぱり驍宗は只者ではないなぁと改めて思った。だからこそ、『黄昏の岸 暁の天』で語られたように、そんか傑物である驍宗の身に何が起こったか、これから物語がどう展開していくのか気になるところだ。


──乗月

『風の万里 黎明の空』で出てきた芳国・月渓の葛藤を描いた物語。


峯王・仲韃は、祥瓊の父親で月渓に討たれた王。『風の万里 黎明の空』を読んだだけでは、民に権を振りかざす暴君のような印象しか持っていなかったが、視点が変わると受ける印象がだいぶ変わる。



タイトル『乗月』の意味が染みた。

「仮朝と偽朝と、二つしか呼び名がないのは不便です。王が玉座にある朝を日陽の朝だとすれば、王のいない朝は月陰の朝じゃないかな。月に乗じて暁を待つ──。」

(引用:華胥の幽夢 P115/小野不由美)


また、恭王・珠晶もチラッと出てくるが、彼女はでてくるたびに評価があがっていく。『風の万里 黎明の空』では、嫌な印象しかなかったが、『図南の翼』で大きく見方が変わって、今回での対応もまた…器が大きい。

──書簡

陽子と楽俊のやり取りは相変わらずで安心する。お互いに信頼してるなぁって。王になって立場が変わってしまった陽子には、気兼ねなく話すことができる楽俊の存在は尚更大きくなったんじゃないかな。


麒麟と王のコンビがなんだかんだ好き。それは景麒と陽子だけじゃなくて、泰麒と驍宗、延麒と尚隆しかり。

そうだな──でも、実を言えば、あまり優しくされると思い上がってしまいそうな気がするから、景麒くらいが私には丁度いいのかも。それでなくても、大勢の人間が頭を下げてくるわけだからね。うん、わりの上手くやれてるんじゃないかな。たはだ、あの堅苦しいところさえなかったら、もっと上手くやっていけそうな気がするんだけど。

(引用:華胥の幽夢 P142-143/小野不由美)


あとは元号の『赤楽』。『月の影 影の海』では気付かなかったけど、たしかにラストで………


──華胥

才国の失道を描いた物語。今までも失道やそれに近いものが書かれた物語はあったが、『華胥』ほど詳しく国が傾いていく様子が描いているのは初めてだったんじゃないかな。


国がぎりぎりの状態だからセリフの一つひとつが重いのだが、その中でも特に刺さったセリフをあげておく。

「ああ、そんな貌をなさらないでください。姉上のそれは、蔑むようなことじゃないです。道なんか投げ捨てて、奏でやり直したいと思うのは、人として当然のことですよ。誘惑を感じないはずがない。それを抑えて、ちゃんと道を守っていられるから、姉上は立派だと思うんです。最初から誘惑を感じない人が道を守っていられるのは当然のことで、立派でも何でもないんです。罪に誘惑を感じる人が罪を断固として遠ざけていられる。そのことのほうが何十倍も立派なことなんですよ。──でしょう?」

(引用:華胥の幽夢 P266/小野不由美)

「……私は、今になって、母上の仰っていたことが、ちょっぴりだけど分かるような気がします。責めるのは容易い。非難することは誰にでもできることです。でもただ責めるで正しい道を教えてあげられないのなら、それは何も生まない。正すことは、何かを成す事だけど、非難することは何かを成す事じゃないんだって」

(引用:華胥の幽夢 P286/小野不由美)


──帰山

──なぜ王朝は死ぬのか、と利広は思う。天意を、得て立った王が、道を失うのはなぜなのだろう。王は本当に自信が道を踏み謝ったことに気づかないものなのだろうか。気づきもしないのだとしたら、最初から道の何たるかが分かっていなかったということなのでは。そんな者が天意を得ることなどあるのだろうか。ないとすれば、王は必ず道を知っているのだ。にも関わらず踏み謝る。違うと分かっている道に踏み込んでしまう瞬間がある。

(引用:華胥の幽夢 P321/小野不由美)


私が十二国記を読んでいて疑問に思っていた点がここに詰まっている。長く続いている国ならまだしも、ほんの数年で滅んでいく国もいくつかある。では、天意とは一体何なんだろうと思わざるを得ない。600年生き、多くの国の衰退を見てきた利広ですらわからないんだから、わかる人なんていないのかな。


あと、十二国記のwiki見てて驚いたんだが、利広と話してた雁国の風漢って男、尚隆だったのか!!全然気づかなかった…。てっきり雁国が各国の見回りのために旅をしている男かと思っていたからビックリだった。確かに答えを知ってしまったら、もう尚隆としか思えないけど、なんで気づけなかったのか…。



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