「悪人を裁いてくれるような神がいるなら、この世に、これほど不幸があるはずがない。……そう思わないかい?」
(引用:神の守り人〈下〉P136-137/上橋菜穂子)
守り人シリーズの『神の守り人』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。
目次
感想
──伝説・伝承を追って
上橋菜穂子の特徴といったら、ファンタジーの世界というのを忘れてしまうほどの隙がない綿密な世界観、そしてその世界に生きる多様な民族、更にはその民族たちが生きてきた歴史や伝説・伝承がリアルに描かれていることだ。
守り人シリーズに共通している事だが、特に今回の『神の守り人』では伝説・伝承をめぐる物語といっていいのではないだろうか。
一つの真実の歴史をいくつもの部族からの視点で語られているが、自分たちの都合のいいように解釈、歪曲されて伝承されている様は現実の歴史とも共通する点だ。
スファルたちカシャル〈猟犬〉は、タルハマヤが降臨した結果を悪夢の歴史と語り、チキサの母は、タルハマヤが降臨したことで戦のない世界を作り上げたと語る。誰の話が正しく語り継がれてきた歴史なのか、真実なのか。
──ラストシーン
「この子は、どちらかというと、臆病で、こわがりだったよね。
それなのに、畏ろしい神の力を使えるようになって、憎しみを思う存分たたきつける快感を知っても、人を殺すまいと思った。それよりは、神をわが身に封じようとした。……そんなこと、わたしには、とてもできないよ」
(引用:神の守り人〈下〉P315/上橋菜穂子)
上の引用は、物語の終盤でバルサがチキサたちに語っているシーン。
『そんなこと、わたしには、とてもできないよ』
この言葉は、チキサたちを励ますための言葉でもあっただろうが、バルサの本心でもあったと思う。
回想シーンであったようにバルサは幼い頃、怒りに任せて人を痛めつけてしまった経験があった。そのときの憎しみによる快楽の経験を知っていたからこそ、それ以上に追い込まれたアスラが、憎しみに流されずに己にタルハマヤを封じ込めることができたことを素直に驚いていたのだろう。
眠り続けるアスラを抱いて、彼女とチキサに語りかけるこのラストは印象深い。バットエンドではないが、心のどこかでは「結局、すべてが丸く収まるのだろう」とたかをくくっていたせいで、アスラが目覚めないまま終幕するなんて虚をつかれた思いだった。
彼女が目覚める日はくるのかな……。
──名言
「たしかにね。──でも、他人をあっさり見捨てるやつは、自分も他人からあっさり見捨てられるからね」
(引用:神の守り人〈下〉P106/上橋菜穂子)
「悪人を裁いてくれるような神がいるなら、この世に、これほど不幸があるはずがない。……そう思わないかい?」
(引用:神の守り人〈下〉P136-137/上橋菜穂子)
「わたしには、タルの信仰はわからない。タルハマヤが、どんな神なのかも、しらない。
だけどね、命あるのもを、好き勝手に殺せる神になることが、幸せだとは、わたしには思えないよ。……そんな神が、この世を幸せにするとも、思えない」
(引用:神の守り人〈下〉P139/上橋菜穂子)
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