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【東野圭吾】『片想い』の感想を好き勝手に語る。誰が誰へ向けての片想いか?

永遠の片想い、か──。
その気持は哲郎にも何となく理解できた。無意味だとわかっていながらこだわらずにはいられない何か──誰だってそういうものを持っている。

(引用:片想い P186/東野圭吾)


東野圭吾の『片想い』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。


目次

感想

『片想い』
個人的には甘酸っぱい青春時代を連想させる言葉。タイトルからは恋愛小説かな、と想像させられるが、東野圭吾が描く物語なので恋愛物だとしても単純明快なストーリーではないだろうと思った読み始めた。

男と女の境界線

この物語で目をひくのがやはり、三月をスポットに当てての根本的な『男と女』とは何なのか。


言葉だけは知っていたが性同一性障害とはどういった事なのかからはじまり、スポーツにおけるジェンダーから性転換など、男女における様々な問題が詰まっていている。


この『片想い』でとくに記憶に残ったのは、男と女の境界についてだった。
私は主人公の哲郎と同じく、漠然と男の反対が女であり、女の反対が男であると思っていた。


「女は男の裏だといいたいわけね」
「どっちでもいいよ。男が女の裏でも」
「そういうことをいいたいんじゃない。男お女はコインの裏表の関係に思ってるわけでしょ」
「違うのか」
〈中略〉
「彼女は、男と女の関係は南極と北極みたいなものだといってた」

(引用:片想い P349/東野圭吾)


ここの段階では、まだ南極と北極の意味がよくわからなかった。反対という意味では、コインの例えとあまり変わらないのでは?と疑問だったが、その答えはすぐに解消された。ちょっと長くなってしまうが、そのまま引用する。

「男と女は、メビウスの裏と表の関係にあると思ってます」
「どういう意味ですか」
「ふつうの一枚の紙ならば、裏はどこまでいっても裏だし、表は永久に表です。両者が出会うことはない。でもメビウスの帯ならば、表だと思って進んでいったら、いつのまにか裏に回っているということになる。つまり両者は繋がっているんです。この世のすべての人はこのメビウスの帯の上にいる。完全な男はいないし、完全な女もいない。またそれぞれの人が持つメビウスの帯は一本じゃない。ある部分は男性的だけど、別の部分は女性的というのが、普通の人間なんです。あなたの中にだって、女性的な部分がいくつもあるはずです。トランスジェンダーといっても一様じゃない。トランスセクシャルといっても、いろいろいます。この世に同じ人間などいないんです。その写真の人にしても、肉体は女で心は男などという単純な言い方はできないはずです。私がそうであるようにね。」

(引用:片想い P366/東野圭吾)


男か女か、そんな2択の考え方しかなかったから、ここの台詞は目からウロコだった。外見的な特徴だけで男女を分けることは簡単だし、いままではそれで男女を分けて考えていたが、その人の内面や、病気を考慮しはじめると止めどない。


そんな中、このメビウスの帯の例えはしっくりくる答えだった。


また他にも、黒を男、白を女とすると黒から白に変わるグラデーションの中のどれかに属するという例えもでていて、これもまたしっくりくるものだった。


男か?女か?と、2択で考えているうちは答えにたどりつけないんだな。はっきりとした境界線はない。

誰から誰への『片想い』?

誰が誰へと片想いをしているのだろう?と思いながら読んでいたが、この物語では一つの片想いではなく、様々な片想いが描かれていたようだった。


人から人への想いから、変わらない社会への考え方まで。本文中に「片想い」という単語が出てくる箇所はどこをとっても記憶に残るものだった。

「いいんだよ、わかってる。何もかもオレの自己満足だし一人相撲なんだ。永遠の片想いってやつさ。だけどさ、それでもオレにとっては大事なことなんだ」
永遠の片想い、か──。
その気持は哲郎にも何となく理解できた。無意味だとわかっていながらこだわらずにはいられない何か──誰だってそういうものを持っている。

(引用:片想い P186/東野圭吾)

「人間は未知のものを恐れます。恐れて、排除しようとする。どんなに性同一性障害という言葉だけがクローズアップされても、何も変わらない。受け入れられたいという我々の思いは、たぶんこれからも伝わらない。片想いはこれからも続くでしょう」

(引用:片想い P368/東野圭吾)

「 十数年越しの片想いが実ったんなら幸せなことだ。今じゃ一心同体ってかんじらしい。奴らが幸せになってくれたなら、俺たちのボール遊びにも意味があったってことになる」

(引用:片想い P613/東野圭吾)


『無意味だとわかっていながらこだわらずにはいられない何か』
という台詞を主人公の哲郎が残しているが、彼自身に帰ってくる言葉だったんだなぁと作品を読み終えてから感じた。


表紙について

読み終わったあとにしみじみと見返すと、なるほどなぁって思える表紙。


メビウスの帯は、さきほども引用したが男女の境界をメビウスの帯に例えていたのが印象深かった部分。


太陽と月(昼と夜)は作中では出ていなかったと思うが、これもいい例え。
昼を男、夜を女としてメビウスの帯と同様に考えると、昼と夜との中間の時間(夕方?)が三月となるのかな。


季節によって夕方の時間が変わる=その時その時によって、女に振れるか男に振れるか変わる
って考えると、メビウスの帯の例えより自分はコッチのほうがしっくりくる。
シンプルだけど考えさせられるいい表紙。




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