宮部みゆきの『龍は眠る』の感想を語っていく。
ネタバレを含めた感想ですのでご注意を。
未読の方はこちらをどうぞ。
感想
『龍は眠る』を読んで、まず考えさせられるのは「人の心が読める(読めてしまう)のはどういうことか?」だろう。
これによってサイキック(超能力)である稲村慎司と織田直也は苦悩を重ねることになる。
絶え間なく聞こえてくる、本音、本音、本音の洪水。そこから身を守るには、能力をコントロールすると同時に、自分の感情をも制御しなければならない。俗に「聞けば聞きっ腹で腹が立つ」というが、普通の人間は、他人が言葉に出したり態度に表したりしないかぎり、周囲に満ちている本当の本音を聞くことはない。それだから、多少はぎくしゃくすることがあっても生きていくことができるのだ。
それが全部聞こえるとしたら?聞く能力を持っているとしたら?聞かないほうが心の平和を保つことができると、理屈ではわかっていても、果たして好奇心を抑えきれるだろうか。
そして、本音を知ってしまってからも、何ひとつ変わったことなどないような態度で暮らし続けることができるだろうか。
誰かを信じるということができるだろうか。
(引用:龍は眠る P150/宮部みゆき)
まさに「知らぬが仏」とはこの事だと思った。
想い人がいたとき、誰しも「彼女は何を思っているのだろうか?」とか「自分の事をどう思っているのだろうか?」など考えるだろう。
もし、その考えが読めたとして、自分の想いとは裏腹に自分の事を良く思ってなかったら...そしてその本音を知ってしまったら...
豆腐メンタルの私ではとても耐えられないだろう。
また本書でもあったが、相手が好意を持ってくれているとしても、ついつい相手の考えを読んで先回り、先回りに要望を叶えてしまったために、気味悪がられて振られてしまう場面があった。
なんて生き苦しいんだ。
では、コントロールして読まなければいいというが、本文にあるように好奇心を抑えるのは難しいだろう。
好きな子の日記が目の前にあったとして、読んでも絶対にバレないとしたら手を伸ばさないでいられる人がどれだけいるだろう。
たまたま目覚めてしまったサイキックの能力に苦悩する二人を見ていると、背負わされた運命の重さに心苦しくなった。
また、語り手である高坂昭吾目線では現実と非現実、合理と非合理に揺れる様を眺めることができる。
現実と非現実、合理と非合理は、それとよく似た形で共存している。永遠に交わることのない二本のレールだ。我々はその両方に車輪を乗せて走っている。(略)合理のレールに傾きすぎれば冷血漢になり、非合理のレールだけで走ろうとすれば狂信者と呼ばれる。そして、どのみちどこかで脱線するだけだ。
(引用:龍は眠る P92/宮部みゆき)
個人的に一番印象に残った一文です。
高坂は物語の中で合理と非合理に振り回される。
稲村に超能力を見せつけられ非合理に振れたと思ったら、今度は織田の登場により合理に振れる。そしてまた非合理にふれ...と。
高坂と一緒に、二人の少年に振り回された読者も多いのでないだろうか?少なくとも私は振り回されたうちの一人だ。
全体を通して
前回の記事でも触れたが、超能力という非現実的な要素が出てくるのに現実離れした感がなく読めるのは、少年の超能力を持ってしまったがゆえの苦悩がリアルに描かれているからだろう。
現実離れしているが決して万能ではないこの力が普通のミステリーとは一味も二味も違うスパイスを与えている。
超能力の存在、謎の白紙の手紙、脅迫めいたラクガキに電話
やがてこれらがすべて繋がっていき大きな事件と結び付くわけだが、全体が見えたときには『そういうことだったのか!』と思わず唸った。
【オススメ】