ブレイドがそれこそ真の目的だとして心の源に捉えたのは、どちらも人間であるという信念だった。《救世群》は歪められた人間である。パナストロ人は、まだそれを知らない人間である。〈中略〉何より絶望的なのは、《救世群》誕生からこれまでの5百年間、当の彼らも含めて、人間はただの一人もこのことに気づかなかったらしいということだ。
(引用:天冥の標Ⅵ Part3/P148)
小川一水氏の天冥の標シリーズ第6作品目、『天冥の標Ⅵ〈宿怨〉』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。
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【『天冥の標Ⅴ』の感想】
目次
感想
あれよあれよという目まぐるしく展開、そしてパート3まであり合計1000ページを超える濃密すぎるシリーズ第6弾だった。辛い箇所も多かったが今までの中で一番好きだったかもしれない。
シリーズ1作目〈メニー・メニー・シープ〉に残されていた核心の謎についに迫ってきた(毎回感想で言ってる気もする)。なにより今回は活発化した救世群たちの行動が見所。彼らの復讐心にも共感できる所があり、序盤は応援しながら読んではいたが、カルミアンとの出会いで道を大きく踏み外し始めてからは、見てられなくなった。
──イサリとミヒル
本編の前にまずパート1の裏表紙にイサリの名前が早速でてきてしまうんだよね……《救世群》の少女イサリって。
やっぱり天冥の標Ⅰ〈メニー・メニー・シープ〉ででてきた異質すぎる存在《咀嚼者》は、《救世群》の成れの果てだったのか……とあらすじの時点で察してしまって絶望した。しかも300年は生き続けることになるし、残酷すぎる。
気になってⅠを読み返したら、イサリの妹ミヒルの名前もすでに登場してたことに気づいた。
ラゴスは目を細めて、小柄な影に声をかけた。
「生きてたんだな……ミヒル」
《咀嚼者》がラゴスを見つめる。
(引用:天冥の標Ⅰ〈下〉P345)
Ⅰのイサリがセアキに異常に執着していた理由も今回明らかになったわけだが……。Ⅵを読んだあとなら分かる、Ⅰのイサリの心情を察するともう押し潰れそうになる。巻を進めるごとにⅠの重みが増してくる。
しかもⅠでは(Ⅵから300年経ったあとでも)イサリとミヒルが敵対関係っていうのも、絶望感に拍車をかけてる。
まぁ、硬殻体がでてくるまではイサリが化け物になる技術も理由もないし、たまたま”イサリ”という名前が同じだけだろう、と淡い期待をしてたけど、カルミアンの登場ですべての期待を裏切られたよね。
──カルミアン
カルミアンの登場は、完全に予想外だった。名前は違うがⅠの《石工(メイスン)》だということは、特徴的にすぐわかる。しかし、Ⅰの奴隷的で無能さすら感じる存在だった彼女らが、人類を凌駕する技術力を持っていたことがまず驚き。そして人類の歴史において、こんなにも大きな影響を及ぼしてしまったやつらだったのかと、二重に驚いた。
これまでの天冥の標シリーズの傾向は、Ⅰの登場人物たちの先祖たちの話で展開されてきたわけだが、そこにメイスンも入っているとは思わなかった。正直メイスンが登場するまで存在すら完全に忘れてた。
カルミアンと人類の接触は、オーバーテクノロジーを与えてしまうとどうなってしまうかっていういい見本。
『技術力はあるが間抜け』という印象が否めないカルミアンだが、『異星人』としてのカルミアンに注目するとその生態がなかなか面白い。
まずカルミアンがどんな生物かというのを改めて考えると、地球でいう昆虫の姿に人間並の知能を持った生物。生態的には、アリや蜂など女王を持つ社会性昆虫。
地球生まれの人類と比べて大きく違うのは、やはり昆虫らしい性質を大きく継いでいる点。
個々を優先する人間と比較すると集団を優先するカルミアン。物語を読んでいると違いがよくわかる。物語上では前述したように間抜けな印象だが、間抜けなのではなく人間の社会に適応できなかった(人間と性質が違いすぎた)感が強い。
女王を基盤とする社会性昆虫感のあるカルミアンは、一つの種族が完全な協力体制を気づいている。カルミアン視点からは、人間同士で争いあう非合理さを指摘している場面もあった。
そのカルミアンがもつ完全なる協力体制は、一見争いもなく完璧なように思えるが脆弱な部分ももちろんある。それは人のような狡猾さがないこと。つまり種族間の争いが起こらない社会のため(共感覚を持っているため?)、嘘や騙し合いがないことである。
技術力で人類を圧倒しながらも、《救世群》にやりこまれていいように利用されてしまったカルミアンだが、これまで嘘や裏を探るようなやりとりを経験してなかったカルミアンが人間の深い闇に浸り続けていた《救世群》の手玉に取られたのは必然といっていいのではないだろうか。
結局《救世群》はカルミアンの、悪意のない効率主義によって計画が大きく崩れてしまうわけだが……。
つまり何が言いたいかって、カルミアンのまさに人類とはまったく違う”異星人”であるっていう設定が作りこまれてるなって思った。
──「ヒト」の物語である
物語の大きな流れは、ノルルスカインとオムニフロラの強大すぎる被展開体たちの手の上で踊らされる人間たちという構図になってしまうが、『天冥の標』は、結局は「ヒト」の物語である。
私に『天冥の標』を推してくれたうちの一人の方が「『天冥の標』はどこまでも『ヒト』の物語である」仰っていたが、その意味がよくわかる巻であった。
それを強く感じたのは、ブレイド・ヴァンディとシュタンドーレ総監とのやりとりであったり、冒頭と下記に引用したとおり結局は、《救世群》も人間であるという所。
ブレイドがそれこそ真の目的だとして心の源に捉えたのは、どちらも人間であるという信念だった。《救世群》は歪められた人間である。パナストロ人は、まだそれを知らない人間である。〈中略〉何より絶望的なのは、《救世群》誕生からこれまでの五百年間、当の彼らも含めて、人間はただの一人もこのことに気づかなかったらしいということだ。
(引用:天冥の標Ⅵ Part3/P148)
アイネイアとイサリだったり、ブレイドとシュタンドーレだったり、《救世群》だろうが、そうじゃなかろうが人間同士うまくいきそうな兆しはあるのに……。ノルルスカインVSオムニフロラの構図は、物語の重要な点であるが、結局胸に刺さるのは「ヒト」同士のやり取りなんだよなぁ……。
最後に
ホント、Part3に入ってからは急展開で面白かったが、それ以上に胸が痛む展開が多すぎて辛かった……。著者は容赦がない。読者を絶望させるのがうますぎる。
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