人ってのは、良い言い訳が見つかると逃げたくなる生き物だ。それでいて、逃げることは後ろめたいもんだから、いつの間にか言い訳を鉄壁の理屈に祭り上げちまう。神さまがこういう存在を生んだから、なんて言われたら、そこですべてはどん詰まりだ。医術師に、そんな口実与えてどうするんです?
(引用:鹿の王 水底の橋 P249/上橋菜穂子)
2015年本屋大賞第1位の上橋菜穂子の『鹿の王』。その続編である『鹿の王 水底の橋』を読んだので感想を語っていく。水底の橋はすでに文庫本が発売されたので前作を読んだ方は是非この続編を読んでみては?前作とは違った感動がまっているはずだ。(写真はハードカバーの表紙。個人的にはコッチのほうが好き)
感想はネタバレありなので未読の方はご注意を。
目次
感想
前作のヴァンたちの存在が気になりつつも登場はせず、ホッサルがメインのストーリー。
患者の全体を見る清心教医術と、患者の身体の内部を見るオタワル医術。そして死への考え方など、相反する意見をもつ両者。
歩いてきた道は違うけど、辿り着いた先は同じっていう感じね
(引用:鹿の王 水底の橋 P103/上橋菜穂子)
しかし上記のセリフのように、異なる診察の仕方で同じ病気を導く。このときは漠然と「2つの医術を合わせればより確実かつ、医術の発展に繋がるんだろうな。でも考え方がまったく違う以上それは難しいんだろうな」思っていたが、まさか物語が2つの医術の架け橋を作るような終わり方になるとは思わなかった。とってもスッキリした。ミラルがいいキャラしてる。
ホッサルひとりを主人公に置くとこによって医術についてピックアップされているので前作『鹿の王』よりもアクション要素は薄いが、民族間での医術や文化の違い、死についての考え方などファンタジーとは思えないほどリアルに展開されていた。安定の上橋菜穂子クオリティ。
個人的には、P246-249あたりのオタワル、清心教お互いの医術に関する信念を討論しているあたりがたまらなく好き。ホッサルがひたすらにカッコいい。
また土毒の事件についてのミステリ性など前作にはない面白さが詰まった一冊だった。
──『水底の橋』の意味を考える
サブタイトルになっている『水底の橋』。これだけ見ると橋の話がメインになっているのかと思うが、橋に関する話は少ない。
しかしミラルの父が語る『水底の橋』の話はとても印象的だった。
「ある橋のな、 欄干から身を乗り出して川を見下ろした時、どきっとした。川底に長く横たわっているのが見えたんだ。── 沈んだ古い橋の、橋桁だった。
どれほど昔に沈んだのか、泥をかぶって、緑の藻に覆われていてな……それでも、川底を横切ってずっと向こうの対岸まで繋がっていた。橋だった頃の姿を残して、水底で繋がっていたのがな、いまも忘れられん」
(引用:鹿の王 水底の橋 P265-266/上橋菜穂子)
この『水底の橋』の存在が、物語上の様々なコトを暗に示しているように思える。
自然(川)に負けて沈んだ橋が、自然(病)に勝つことのできない医療技術を表しているようにも思える。そう思うと橋(医療技術)が様々な自然(病)に勝とうなんていかに無謀な話なのかよくわかる。
また、先程の引用より前の部分では水底の橋ではないが、橋について他にも面白いセリフがある。
「初めから、増水したら沈むのを想定して造る橋だ。流木などがひっかかないように欄干も造らん。なるべく流れに逆らわんように造って、橋桁の水没どころか、壊されて流されるのも覚悟の上で、なんとか橋脚だけは残るようにする、そういう橋だ」
《中略》
「下手に頑丈な橋を造って、大水のとき、橋に大量の流木が引っかかって堰のようになっちまうと、行き所がなくなった水が溢れて周囲の田畑を水没させてしまう。橋が頑張ってないで素直に流れてくれた方が、助かる場合もあるわけだ。自分が流れるか、周りを流すか、どっちをとるか、だな」
(引用:鹿の王 水底の橋 P264-265/上橋菜穂子)
この沈下橋の話が、オタワル医術と清心教医術の違いに近いものがあると思った。
頑丈な橋を目指すオタワル医術
沈下橋的な考え方に近い清心教医術
つまり
死を最後まで諦めることになく生きることにこだわるオタワル医術と
死を受け入れどう最後を迎えるかを考える清心教医術
相反する両者の考え方が、橋の構造に例えられているように思った。そう仮定すると物語で出てきた水底の橋は花部流医術を表しているように思える。
どれほど昔に沈んだのか、泥をかぶって、緑の藻に覆われていてな……それでも、川底を横切ってずっと向こうの対岸まで繋がっていた。橋だった頃の姿を残して、水底で繋がっていたのがな
昔に沈んだ橋。にもかかわらず途切れることなく、橋の姿を残したまま川底を対岸まで繫がっている。
この『水底の橋』は頑丈な橋と沈下橋の二つの性質をもっている。つまり、オタワル医術と清心教医術の両方に近い性質をもつ花部流医術だという考え方ができるのではないだろうか。
そして昔に沈んだ、という部分は、花部流医術が清心教医術の元になっていた、という事実について示していることの解釈ともとれる。