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『デボラ、眠っているのか?』の感想を好き勝手に語る【森博嗣】


誰が自分を作ったのかはわからないと言っていたが、あれは隠しているのかもしれない。機械が嘘をつかないなんてことはない。機械がつく嘘は、辻褄を完璧に合わせる計算が行き届いているから、始末が悪い

(引用:デボラ、眠っているのか? P133)


Wシリーズの4作目、森博嗣の『デボラ、眠っているのか?』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。

前回の感想はコチラ。
【『風は青海を渡るのか?』感想】


目次

あらすじ

禱りの場。フランス西海岸にある古い修道院で製織可能な一族とスーパ・コンピュータが発見された。施設構造は、ナクチュのものと相似。ヴォッシュ博士は調査に参加し、ハギリを呼び寄せる。
一方、ナクチュの頭脳が再起動。失われていたネットワークの再構築が開始され、新たにトランスファの存在が明らかになる。拡大と縮小が織りなす無限。知性が挑発する閃きの物語。

(引用:デボラ、眠っているのか? 裏表紙)


感想

カンマパではない、本物(?)のデボラが大活躍する第4作目Wシリーズ。AIvsAI(物語の言葉を使うならトランスファvsトランスファ)がはじまり、SF味が強まってきた。『すべてがFになる』から読んでいると『デボラ』とトランスファに名付けたことが感慨深い。


ハギリたちが話していたが、『デボラ』には他に、『旧約聖書に登場する預言者』や、ヘブライ語で『蜜蜂』だったり、『小惑星』の名前だったりするらしいね。


どんどん未来的な話になって、現代とは乖離していってるにも係わらず、何故かすんなり物語が入ってくる。理由としては、著者の描く未来像が将来実現しそうな気がしてならないからだろう。例えば、人工知能の発達で人間と機械(ウォーカロン)の境界がなくなってくること、人間がチップなどで機械化しはじめていること……など。


もし私が森博嗣作品を読み始めたのが、このWシリーズからだったなら、上記のようなウォーカロンの人間化また人間の機械化など、すんなり入ってこなかったかも。

「そもそも、この躰というものが、いつまで必要でしょうね」僕は言った。「エネルギィ効率から考えて、すべてをバーチャルにする選択は、けっこう早い段階で訪れる気がします。なにしろ、みんなが歳を重ねて、自分の躰に厭き厭きしてしまうんじゃないですか?そんな気がしますよ」

(引用:デボラ、眠っているのか? P266)

上記は物語終盤のハギリの言葉。
現代で考えるとけっこう突飛な考え方だと思うが、こういうセリフや考え方をすんなり納得してしまうのって、過去シリーズ(S&Mとか)を通して刷り込まれているからだと思う。確証はないが、「体は邪魔。いつか必要なくなる」といった趣旨のことを四季が語っていたはず。


彼女がS&Mシリーズで犀川たちに向けて、上記のような言葉を残してから百年以上あとのWシリーズで同じ思考をする人間がいるって感慨深い。いやそれを通り越して、やっぱり四季って桁違いの天才なんだって実感する。


ハギリだってかなり優秀な人間だけれども、そのハギリが考えることは、もう百年以上昔に四季が思考していたという事実。まぁ他にも四季が語っていた未来の姿が少しずつではあるけど、実を結んできているってどんだけ正確に未来を見通してたのか……。



あと、とっっっても印象に残っているのがエピローグのウグイがかわいいところ、P270-271。そんなことする人だったのか……普段とのクールなギャップに差にやられたね。みんなそう思うに違いない。

──印象に残ったセリフ・名言

人間の寿命が半永久的に長くなった今、人は現実というものをどう捉えて良いのか、迷っているように思える。《中略》いずれ自分にそれができるという無限の可能性を持っている者には、最初から興醒めでしかないをカタログを眺めるように、選択のための資料としての価値しかない。カタログは商品てまはない。カタログが欲しいわけではなく、商品を手にする未来を見ている。その未来は、今は無限に広くなり、逆に霞んでしまったように思える。大勢が霧の中で迷っているはずだ。

(引用:デボラ、眠っているのか? P87-88)

人の寿命が半永久的になったからこそ、未来が霞んでしまっている。
自分みたいな先延ばし癖のある人間にとって不老不死は毒でしかないかもしれない。

誰が自分を作ったのかはわからないと言っていたが、あれは隠しているのかもしれない。機械が嘘をつかないなんてことはない。機械がつく嘘は、辻褄を完璧に合わせる計算が行き届いているから、始末が悪い

(引用:デボラ、眠っているのか? P133)


「人間は、基本的に合理的な思考をしない傾向を持っています。私には、そう観察されます。無駄なことを考えて、最適ではないものを選択します。それでも人間は後悔しない。多くの戦争は、平均化すればこのような不合理の中にのみ成立する現象でした。したがって、歴史からは、学ぶものがほとんどありません」

(引用:デボラ、眠っているのか? P186)


デボラ(人工知能)から、この言葉を言われるの刺さるなぁ。歴史からわかるのは、いかに人間が愚かなのかってことくらいなのかもしれない。

そもそも、人工知能は人間のように私腹を肥やすとか、権力を欲しがるといった欲望を持たないはずだ。人間に比べればデフォルトが天使寄りなのである。
それは、ウォーカロンでも同じだろう。皆素直で、正直に生きているではないか。
そういった設計をしたのは人間なのだ。人間は、自分たちの至らなさを恥じ、もっと完璧な存在を目指して、コンピュータやウォーカロンを作った。その技術の初心を、忘れてはならないだろう。
そうでもなければ、生命の価値が消えてしまう。
それでは、あまりにも恥ずかしい、と僕は思うのだ。

(引用:デボラ、眠っているのか? P261-262)


ハギリの言葉。


──備忘録

今後のシリーズで、重要かもしれない個人的に気になった箇所の備忘録。

・ハギリの夢の中(デボラとの会話)でデボラは、カンマパを娘と言った(P65)

・城のスーパ・コンピュータの名前は『テラ』、ナクチュにあったものは『アース』。両方ともに地球の意。ヴォッシュは、『ベルベット』、『アミラ』と呼んでいる(P152)

・デボラの発想にはどこか人間的なものを感じる。(P168)

・共通思考とは、人工知能による新しい社会の構築。社会そのものが知性で、それは新しい生命体。(P175)





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