FGかふぇ

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『コーヒーが冷めないうちに』感想:過去は変わらない、だけど…【川口俊和】

川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』を読んだ。コーヒーを淹れて冷めるまでのわずかな時間だけ過去にいける不思議な喫茶店は、これからを生きる活力を与えてくれる素敵な物語だった。以下ネタバレありなので未読の方はご注意を。

感想

──未来はこれからの自分次第

登場人物たちの「前向きになって生きよう」という気持ちに心打たれるとともに、自分もこれからの未来をがんばって生きようと思える一冊だった。


タイムリープ系の物語って『過去に戻って何かをすることで、現在の状況を打破する』というのが一般的……というか、よくあるパターンだけど、『コーヒーが冷めないうちに』の面白い点は「過去に戻ってどんな努力をしても現実は変わらない」と何度も強調されていることだ。


しかも過去に戻ったら、席から動けなかったり、制限時間が短かったり、その喫茶店に訪れたことがある人にしか会えなかったり……と制約が多い。そんなんじゃあ過去に戻っても意味ないのでは?と思ってしまうが、ところがどっこいそれでも色鮮やかに物語は展開していた。


『過去はどうしたって変わらないけど、未来は自分次第で変えられる』
至極当たり前だけれども見過ごしがちなこの事実。『コーヒーの冷めないうちに』はこの事実を読者に語りかけてくれている。


登場人物たちは、変えることのできない過去(アメリカに行ってしまう恋人や、死んでしまう妹)に触れることで、これからの未来を良い方向に生きようとしようとする。


物語の中では『過去は変わらない』と主張されているが、正確には大きな流れは変えられないけど、手の届く範囲の小さい流れなら変えられるだと思う。恋人がアメリカにいってしまう事実は変わらないけど、喫茶店内で話す内容だけなら自分の対応しだいで少し変えられる。


妹がこのあと交通事故で死んでしまうことは変えられないけど、過去に行くことで逃げてばかりではなく、妹ときちんと向き合うことができる。


「あのときあぁすればよかったなぁ」という小さな流れを修正するだけで、人のこれからの生き方はこんなにもいい方向に変わるんだなぁと思えた。


人は、何かのきっかけで変われる生き物だ。ほんの少しだけれども過去に行ってやり直しができるなら、それはこれ以上ないきっかけになると思う。


私は過去に行くことはできないけれども、『コーヒーが冷めないうちに』を読めたことで、登場人物たちと同じように前を向いて生きようとする、未来を生きる活力をもらえた気がする。


【オススメ】




『謎解きはディナーのあとで』の感想を好き勝手に語る。キレ者執事の軽快なミステリー【東川篤哉】



軽快なテンポと本格推理が癖になる、東川篤哉の『謎解きはディナーのあとで』の感想を語っていく。

感想

個性的なキャラクターたちが軽快に活躍していて読みやすい。その上、ミステリーの内容はとても凝っていて心地よい読了感だった。


シリーズ1作目は6話構成でページ数は300ページ強と1話あたり50ページほどしかないのだが、そうは思えないほど作り込まれている気がする。


『犯人は誰なのか?』『どんなトリックを使ったのか?』に特化してたのが印象的。犯人の細い動機などは必要最低限、さらに解き明かした推理を披露して犯人を追い詰めるのがミステリーの象徴的な場面であるが、『謎解きはディナーのあとで』ではその場面がばっさりカットされてるのが珍しいなと思った。


そのおかげで犯人の重苦しい動機を聞く機会がないので、謎解きに特化したスピーディーな読み口を与えている。(犯人が動機を語ろうとしたところを、「明日取調室で聞くから辞めてくれ」と遮ったところはさすがに笑ってしまった)


『謎解きはディナーのあとで』は、宝生麗子が影山に事件の様子を伝えて、その情報のみで影山が華麗な推理を披露する所謂、『安楽椅子探偵』と呼ばれるジャンルのミステリー形態。


そのため、読者は探偵と同じヒントを元に推理を迫られる。麗子を小馬鹿にしたような影山の台詞が推理開始の合図なわけだが、それまでにわからない事が多過ぎると「今までのヒントだけでわかるのか!?」と思ってしまうが、影山の論理的でヒントの点を線で結ぶ推理には舌を巻かれる。


前述したが、一つひとつの事件が約50ページと短いだけに、解けそうで解けない……わかりそうでわからないはとても悔しい。そして推理を聞かされてみれば、「確かに…なるほど…!」と納得できてしまうのがまた悔しい。


普段ミステリーを読まない方にも親しみやすく、そうでない方でもしっかり推理を楽しめる一冊だった。





【オススメ記事】






『ストーリーセラー 〜StorySeller〜』の感想を好き勝手に語る。


新潮社出版の短編集、『ストーリーセラー 〜StorySeller〜』の感想を語っていく。この短編集は伊坂幸太郎、近藤史恵、有川浩、米澤穂信、佐藤友哉、道雄秀介、本多考好の7人の作家で構成されている。


表紙にある通り『読み応えは長篇並 読みやすさは短篇並』で、好きな作家さんのお話を楽しむもよし、初めて読む作家さんの作品と出会うのもよしの一冊になっている。ネタバレありなのでご注意を。


目次

感想

──首折り男の周辺/伊坂幸太郎

伏線の張り方はさすが伊坂幸太郎って思える短篇。
・いじめられている少年
・疑う夫婦
・間違われた男
3つの視点からなるストーリーを数十ページで綺麗にまとめていた。


疑う夫婦からみる隣人がはたして、小笠原なのか大藪なのか考えながら読んでいたけど完全に騙された。


最後「ごめん、幽霊って、いるのかも」で締めているのも好き。


──近藤史恵/プロトンの中の孤独

自転車の漫画はいくつか読んだことあるし、私自身もクロスバイクに乗るくらい自転車は好きだけど、自転車をメインにした小説は初めて読んだ。


面白いかったなぁ。外国で経験を積んだ赤城と、山で天才的な走りをする石尾。チームで浮いている二人が活躍する様子は読んでいてスッキリするし、なんだかんだいってもチームに貢献する走りをした石尾がカッコいい。


タイトル『プロトンの中の孤独』、プロトンの意味は終盤に明かされている訳だが、『大集団』という意味らしい。『大集団の中の孤独』と深いタイトルだなぁ。


この短編で完結しているけど、まだまだ続きが読んでみたいと思える話だった。


──有川浩/ストーリー・セラー

感情のジェットコースター。甘いところは、とことん甘く、切ないところは、とにかく切ない。約100ページでこの感情の落差を味わせられるんだからすごい。


初っ端から残酷な設定を叩きつけられて、ハッピーエンドは難しいってわかっているけど、二人の仲睦まじい様子をみていると感情移入せずにはいられない。


彼の最初の強引すぎる行動はちょっと引いてしまったけど、それ以降はとことんカッコよく、彼女に真摯に向き合う理想ともいえる男性だった。


冒頭に彼女が病気になってしまうという未来が明かされているから、幸せな方向に進んでいくにつれて、この現状が崩れ落ちてしまうのか……という、やりきれない思いがフツフツと浮かんでしまう。


しかし、彼女に降りかかる仕事関係のストレス、家庭環境など、読んでいて辛ぎて精神が参ってしまうのも納得してしまった。唐突な病気の展開ではなくて、筋の通った病気の展開……というのも変な話だが、とにかく違和感を感じることなく物語にのめり込んでいた。


だからこそ最後の数ページ、とくに彼女からの手紙が刺さるものがあった。


──米澤穂信/玉野五十鈴の誉れ

名前はよく目にしてたけど初めて読んだ作家さん。言い回しとか難解なものも多かったけど、物語の展開が気になりすぎてどんどん読み進めてしまった。

それになにより、わたしはお祖母さまを説得できるとわかった。お祖母さまは決して逆らい得ぬ絶対の王ではなかったのだ。一度の抵抗が成功したいま、二度目、三度目があり得ないことではない。己の器量で運命を切り拓いたわそんな高揚感にわたしは酔った。
本当に幸せだった。

つまりわたしは、まだお祖母さまのことをよく知っていなかったのだ。

(引用:ストーリーセラー P305)

ここの絶望感ハンパがなかったな……。
そして『始めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋取るな──』


最後に意味が分かるとゾッとする。
どう考えても、赤子とお祖母さまに手を出したのは五十鈴だよなぁ…。


途中、五十鈴の気持ちがどちらに向いているのか分からなかったけど、純香が軟禁されている間もずっとなんとかして助け出す算段をたてていたのかな。


あれしか手段がなかったとはいえ、助けだされた喜びよりも、ゾッとする読後感が残る、癖になる怖さだった。


──333のテッペン/佐藤友哉

東京タワーのテッペンで死体が見つかるというなんとも大胆なミステリー。


土江田の終始皮肉を込めたような言い回しや、例えの表現が独特。正直読み終えた時は、土江田の過去の因縁など明らかにされていない事が多くて不完全燃焼感があったが、ちょっと調べてみたら

『444のイッペン 』
『555のコッペン 』
『666のワッペン 』
と続きもあるようだ。


続きがあれば読んでみたいと思ったのでこれはありがたい。

「下手な物語よりも物語的な生活をすごした人間の発想ですね」

(引用:ストーリーセラー P407)
この台詞がすき。

──道尾秀介/光の箱

道尾秀介の作品は『向日葵の咲かない夏』に続いて2作目。感想はコチラで書いている。
【『向日葵の咲かない夏』感想】


『向日葵の咲かない夏』でしか道尾秀介を知らなかったので戦々恐々で読み始めたのだが、いい意味で期待を裏切られた。


ハッピーエンドではあったけど人間の後ろ暗い部分を書いた表現は、生々しくて目を背けたくなってしまうけど、何故か読み進めてしまう不思議な魅力がある。そして名前を使ったトリックも見事に騙された。


とくに主人公が真実に気付いたキッカケも、絵本の伏線と相まって関心してしまった。
ホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら音楽に耳を傾けていた主人公がなぜ、突然真実に気づいたのか?


最後まで読み進めてようやく気づいたけど、夜道を照らす赤鼻のトナカイと、暗闇を照らすためのカメラのフラッシュ……。あぁ、赤鼻のトナカイの絵本はこの為の伏線だったのかと分かったときは鳥肌がたった。


──本多考好/ここじゃない場所

普通でいることが嫌になり、だからといって”ズレる”ことができない主人公。そして突如、普通だと思っていたクラスメートが目の前で”消える”。彼の正体を確かめる為に近づくと、不穏な影が……。


…と設定は面白いし、文体も読みやすくサクサクと読めた。


しかし、主人公の向こう見ずで突っ走る様子や、彼女の性格にどうしても感情移入できなかった。


『アゲハ』という謎の組織もでてきたり、秋山たちは明らかに不思議な力をもった人たちだったのに、その正体も結局明らかにされておらず、不完全燃焼感が否めなかった。





【オススメ記事】






本屋大賞受賞作!『夜のピクニック』のあらすじ・紹介【恩田陸】

第二回本屋大賞受賞作、恩田陸の『夜のピクニック』のあらすじ・紹介をしていきます。


学生の方はもちろん、大人が読んでも懐かしい『あの時』を思い出させてくれるような青春小説です。夜を徹して80キロを歩き通す変わった学校行事『歩行祭』


『夜のピクニック』は、『歩行祭』を通じて描かれる、ちょっと複雑な事情を抱えた男女の物語です。事件らしい事件は起きないけど、二人の登場人物の心情の変化が面白く、読者も心にひかれます。


主人公が抱く小さな賭けと、去年の歩行祭に現れた謎の少年、アメリカに住む親友からの謎めいた伝言…。
気になる要素がいくつも提示されながら物語が進んでいきますが、すべてが丸く収まっていく様が読んでいて心地よく、ストーリーが進行するにしたがって収束していく謎に、きっと夢中になれるはずです。



感想はコチラから。
【夜のピクニック・感想】


目次

──あらすじ

高校生活最後を飾るイベント『歩行祭』。それは全校生徒は夜を徹して80 キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった。甲田貴子は密かの誓いを胸に抱いて、歩行祭にのぞんだ。三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために──。学校生活の思い出や卒業後の夢などを語らいつつ、親友たちと歩きながらも、貴子だけは、小さな賭けに胸を焦がしていた。本屋大賞を受賞した永遠の青春小説。

(引用:夜のピクニック 裏表紙)

──複雑な事情を抱えた二人の男女

物語は二人の主人公、甲田貴子西脇融の二つの視点で進行していきます。


二人は3年生になり、初めて同じクラスになったのですが、全然話したことはないのに険悪な関係……。


もちろんそれには理由があり、二人はなんと異母きょうだいだったのです。二人の関係を知っている人は少なく、先生にすら知られていません。


複雑な家庭の事情により、歩みよることができなかった二人。特に融の貴子に対する嫌悪感はすさまじく、同じクラスになってからも関わろうという気持ちはまったく無い様子。そんな中、あらすじにあったように貴子は一つの小さな賭けを胸に歩行祭にのぞむことになります。


──『あの時』を思い出す青春小説

ただひたすらに80キロ歩き通す「歩行祭」。こんな経験をした方は読者の中には、いないと思います。


ですが『夜のピクニック』を読んでいると、何故かとても懐かしさを感じます。私は中学・高校時代の修学旅行の夜を思いだしました。消灯後の布団の中、先生の見回りをかいくぐり友達とヒソヒソと秘密の話をした夜。


友達と夜を共にするという非日常感。シチュエーションこそ違うものの、登場人物たちの告白や秘密の共有、そして高校生らしさ青々しさがリアルに描かれていめ、読んでいるとつい懐かしい『あの時』を思い出すことでしょう。


──スッと心に染みる表現・描写

80キロを歩き通す『歩行祭』。物語の結末も気になるところですが、その中でも多彩な風景描写や登場人物たちの台詞も心に響きます。


海沿いの国道から田舎のあぜ道、夕方から夜への移り変わり……。表現の一つひとつが美しさに溢れています。

当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ。

(引用:夜のピクニック P22/恩田陸)


『二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていく』


言ってしまえば当たり前だけど、なかなか気づけない事実。私の心に残ったシーンの一つ。


──最後に

ページ数は450ページほどで、重すぎない内容なのでスッと読めると思います。学生時代を懐かしむように紹介してしまいましたが、学生の方が読んでも間違いなく楽しめる内容だと思います。


また残りの学生生活、悔いの内容に過ごそう……!という気持ちがきっと湧いてくるはずです。


【オススメ記事】






『夜のピクニック』の感想を好き勝手に語る。”あの時”を思い出す青春小説【恩田陸】

当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ。

(引用:夜のピクニック P22/恩田陸)


第二回本屋大賞受賞作、恩田陸の『夜のピクニック』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はコチラからどうぞ。

【『夜のピクニック』あらすじ・紹介】

目次

あらすじ

高校生活最後を飾るイベント『歩行祭』。それは全校生徒は夜を徹して80 キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった。甲田貴子は密かの誓いを胸に抱いて、歩行祭にのぞんだ。三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために──。学校生活の思い出や卒業後の夢などを語らいつつ、親友たちと歩きながらも、貴子だけは、小さな賭けに胸を焦がしていた。本屋大賞を受賞した永遠の青春小説。

(引用:夜のピクニック 裏表紙)

感想

ちょっと複雑な事情を抱えた男女が、80キロを歩き通す『歩行祭』という変わった行事を通して、心の成長を描いた物語。事件らしい事件は起きないけど、二人の登場人物の心情の変化が面白い。


貴子の小さな賭けと、去年歩行祭に現れた謎の少年、杏奈の謎めいた伝言…。
気になる要素がいくつも提示されながら物語が進んでいくけど、すべてが丸く収まってく様が読んでいて心地よい。


また主人公の友達たちもいいキャラしてるんだよなぁ。個人的には西脇融の親友、戸田忍くんのキャラがすき。

──なんでもない特別な時間

ただひたすらに80キロ歩き通す「歩行祭」。この発想自体が面白い。


言ってしまえば「歩行祭」なんてやっている事は”ただ歩くだけ”のなんでもない行為。しかしその距離が80キロ超え、時間も途方もなくかかってくると、”歩く”という日常の行為が、非日常の特別な行為へと変わる。


この非日常って中学・高校の修学旅行の夜を思い出す。消灯後の布団の中、先生の見回りを避けて友達とヒソヒソと秘密の話をした夜。


お互いの秘密を共有するこの感じも、打ち明けていいのか悩むもどかしい感じも、あの時の懐かしさを思い出してしまった。


大人になるにつれて、そのような環境と機会がいつの間にかなくなってしまったなぁ…。

──名言・好きな表現

恩田陸の表現・描写って、スッと心に入ってくる。思わずなるほど、と納得してしまう表現、好きな描写などをあげていく。

当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ。卒業が近いのだ、ということを、彼はこの瞬間、初めて実感した。

(引用:夜のピクニック P22/恩田陸)


『二度としない行為や、二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていく』


言ってしまえば当たり前だけど、なかなか気づけない事実。必死に走った運動会も、たくさん準備して望んだ文化祭も、大人になってしまったら二度とできないことだし、そもそも学校に足を踏み入れることも、もうない。


大人になるってことで、当たり前なんだけど、改めて考えると寂しさがつのるよな…。

日常生活は、意外と細々としたスケジュールに区切られていて、雑念が入らないようになっている。チャイムが鳴り、移動する。バスに乗り、降りる。歯を磨く。食事をする。どれも慣れてしまえば、深く考えることなく反射的にできる。むしろ、長時間連続して思考し続ける機会を、意識的に排除するようになっているのだろう。

(引用:夜のピクニック P73/恩田陸)


無意識に過ぎていってる日々を意識させてくれる。

昼は海の世界で、夜は陸の世界だ。
融はそんなことを思った。そして、自分たちはまさにその境界線に座っている。
昼と夜だけではなく、たった今、いろいろなものの境界線にいるような気がした。大人と子供、日常と非日常、現実と虚構。歩行祭は、そういう境界線の上を落ちないように歩いていく行事だ。

(引用:夜のピクニック P119/恩田陸)

水平線に滲む光は少しずつ弱まってゆき、やがては暗い一線で空と海が溶けた。

(引用:夜のピクニック P130/恩田陸)


『溶けた』って表現してるのが、何故かたまらなくいいなって思ってしまった。

「いいや。他人に対する優しさが、大人の優しさなんだよねえ。引き算の優しさ、というか」
〈中略〉
俺らみたいなガキの優しさって、プラスの優しさじゃん。何かしてあげるとか、文字通り何かあげるとかさ。でも、君らの場合は、何もしないでくれる優しさなんだよな。それって、大人だと思うんだ」

(引用:夜のピクニック P239-240/恩田陸)

その優しさに気づくことができる戸田くん…君もとても大人だと思うよ。


あとは引用すると長くなってしまうから省くけどP186-189の戸田くんの話や例えがとっても響く。林檎と人間関係の例えとか、本とタイミングの話でも、必要なノイズなどなど…。恩田陸『らしい』表現がたくさんあって読んでいて納得しっぱなしだった。


最後に

ちょっと余計な事かもしれないけど、仮眠あとの自由歩行、上位陣は1時間ちょっとで20キロ走りきるってあったけどだいぶ無茶があるのでは……って考えてしまった。


前日…というか2時間前まで60キロ歩いていて、リュックを背負った状態で、20キロを1時間ちょっと…。流石にそれをこなせるのは超人すぎるかな。






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【東野圭吾】『片想い』の感想を好き勝手に語る。誰が誰へ向けての片想いか?

永遠の片想い、か──。
その気持は哲郎にも何となく理解できた。無意味だとわかっていながらこだわらずにはいられない何か──誰だってそういうものを持っている。

(引用:片想い P186/東野圭吾)


東野圭吾の『片想い』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。


目次

感想

『片想い』
個人的には甘酸っぱい青春時代を連想させる言葉。タイトルからは恋愛小説かな、と想像させられるが、東野圭吾が描く物語なので恋愛物だとしても単純明快なストーリーではないだろうと思った読み始めた。

男と女の境界線

この物語で目をひくのがやはり、三月をスポットに当てての根本的な『男と女』とは何なのか。


言葉だけは知っていたが性同一性障害とはどういった事なのかからはじまり、スポーツにおけるジェンダーから性転換など、男女における様々な問題が詰まっていている。


この『片想い』でとくに記憶に残ったのは、男と女の境界についてだった。
私は主人公の哲郎と同じく、漠然と男の反対が女であり、女の反対が男であると思っていた。


「女は男の裏だといいたいわけね」
「どっちでもいいよ。男が女の裏でも」
「そういうことをいいたいんじゃない。男お女はコインの裏表の関係に思ってるわけでしょ」
「違うのか」
〈中略〉
「彼女は、男と女の関係は南極と北極みたいなものだといってた」

(引用:片想い P349/東野圭吾)


ここの段階では、まだ南極と北極の意味がよくわからなかった。反対という意味では、コインの例えとあまり変わらないのでは?と疑問だったが、その答えはすぐに解消された。ちょっと長くなってしまうが、そのまま引用する。

「男と女は、メビウスの裏と表の関係にあると思ってます」
「どういう意味ですか」
「ふつうの一枚の紙ならば、裏はどこまでいっても裏だし、表は永久に表です。両者が出会うことはない。でもメビウスの帯ならば、表だと思って進んでいったら、いつのまにか裏に回っているということになる。つまり両者は繋がっているんです。この世のすべての人はこのメビウスの帯の上にいる。完全な男はいないし、完全な女もいない。またそれぞれの人が持つメビウスの帯は一本じゃない。ある部分は男性的だけど、別の部分は女性的というのが、普通の人間なんです。あなたの中にだって、女性的な部分がいくつもあるはずです。トランスジェンダーといっても一様じゃない。トランスセクシャルといっても、いろいろいます。この世に同じ人間などいないんです。その写真の人にしても、肉体は女で心は男などという単純な言い方はできないはずです。私がそうであるようにね。」

(引用:片想い P366/東野圭吾)


男か女か、そんな2択の考え方しかなかったから、ここの台詞は目からウロコだった。外見的な特徴だけで男女を分けることは簡単だし、いままではそれで男女を分けて考えていたが、その人の内面や、病気を考慮しはじめると止めどない。


そんな中、このメビウスの帯の例えはしっくりくる答えだった。


また他にも、黒を男、白を女とすると黒から白に変わるグラデーションの中のどれかに属するという例えもでていて、これもまたしっくりくるものだった。


男か?女か?と、2択で考えているうちは答えにたどりつけないんだな。はっきりとした境界線はない。

誰から誰への『片想い』?

誰が誰へと片想いをしているのだろう?と思いながら読んでいたが、この物語では一つの片想いではなく、様々な片想いが描かれていたようだった。


人から人への想いから、変わらない社会への考え方まで。本文中に「片想い」という単語が出てくる箇所はどこをとっても記憶に残るものだった。

「いいんだよ、わかってる。何もかもオレの自己満足だし一人相撲なんだ。永遠の片想いってやつさ。だけどさ、それでもオレにとっては大事なことなんだ」
永遠の片想い、か──。
その気持は哲郎にも何となく理解できた。無意味だとわかっていながらこだわらずにはいられない何か──誰だってそういうものを持っている。

(引用:片想い P186/東野圭吾)

「人間は未知のものを恐れます。恐れて、排除しようとする。どんなに性同一性障害という言葉だけがクローズアップされても、何も変わらない。受け入れられたいという我々の思いは、たぶんこれからも伝わらない。片想いはこれからも続くでしょう」

(引用:片想い P368/東野圭吾)

「 十数年越しの片想いが実ったんなら幸せなことだ。今じゃ一心同体ってかんじらしい。奴らが幸せになってくれたなら、俺たちのボール遊びにも意味があったってことになる」

(引用:片想い P613/東野圭吾)


『無意味だとわかっていながらこだわらずにはいられない何か』
という台詞を主人公の哲郎が残しているが、彼自身に帰ってくる言葉だったんだなぁと作品を読み終えてから感じた。


表紙について

読み終わったあとにしみじみと見返すと、なるほどなぁって思える表紙。


メビウスの帯は、さきほども引用したが男女の境界をメビウスの帯に例えていたのが印象深かった部分。


太陽と月(昼と夜)は作中では出ていなかったと思うが、これもいい例え。
昼を男、夜を女としてメビウスの帯と同様に考えると、昼と夜との中間の時間(夕方?)が三月となるのかな。


季節によって夕方の時間が変わる=その時その時によって、女に振れるか男に振れるか変わる
って考えると、メビウスの帯の例えより自分はコッチのほうがしっくりくる。
シンプルだけど考えさせられるいい表紙。




【オススメ記事】






『図書館戦争 別冊Ⅱ』の感想を好き勝手に語る。ついにあの二人に進展が…!?【有川浩】



有川浩の『図書館戦争』シリーズ第6弾、番外編である『図書館戦争 別冊Ⅱ』の感想をかたっていく。ネタバレがあるので未読の方はご注意を。





感想

緒方副隊長の昔話や、堂上と小牧の新人時代の話など興味を惹かれる番外編だったど、やっぱり一番心に残ったのは手塚と柴崎のその後を描いた『背中合わせの二人』。


『背中合わせのふたり』ってタイトルが、これまでの二人の関係を示していてまたいいよね。


郁と堂上がメインの図書館戦争だけど、やっぱり手塚・柴崎の関係がすきだなーって再確認した。


だけどいままでのシリーズのなかで一番イライラする……というか胸糞が悪いシーンが多かった作品でもあった。それが柴崎に対する嫌がらせの場面。


ストーカーから始まり、卑猥なコラージュ写真がばら撒かれるなど陰湿な嫌がらせが続いて、普段気丈で嫌がらせなんてスルリと受け流していたであろう柴崎が憔悴していく様子が読んでいて辛かった。


それプラス、手塚が運転するクルマでの水島の自己中心的な解釈とその告白でイライラはピークに……。実際にこんなヒステリーな思考の持ち主いるのかな……こういう考えしかできない人がストーカーになったりするのか……。


まぁその不快感の振り幅もあってか、解決した時の開放感、爽快感はたまらないものがある。まさか今までまったく進展がなかった二人の結婚の場面まで書かれるとは思ってもみなかった。嬉しい誤算。


柴崎のいままでのギャップがひたすらに可愛い。とくに事件のクライマックスのところ。

「あたし。大事にしてくれて、あたしが大事にしたいような人は、あたしのことなんか見つけてくれなかったっ!」
「俺が見つけた」
手塚が囁いた。
「自信家で皮肉屋で意固地で意地っ張りで大事にしたいお前のこと、やっと見つけた」
うわああ、と自分でもびっくりするほどの子供のように泣き声が漏れた。

(引用:図書館戦争 別冊Ⅱ P267/有川浩)


柴崎がいつからかずっと自分を守っていた殻が割れた瞬間……手塚が割ってくれた瞬間……。手塚と柴崎がすきな人にとってはたまらない展開だった。








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