どんな記録でも、多かれ少なかれ同じだと思う。しかもそれがずっと以前のことであれば、なおさらだろう。記憶とは、想像力が作る記号なのだ。
(引用:夢・出逢い・魔性 P30/森博嗣)
森博嗣のVシリーズ第4作品目、『夢・出逢い・魔性』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。前回の感想はコチラ。
【『月は幽咽のデバイス』の感想】
目次
感想
犯人視点での怪しげな雰囲気、立花亜裕実視点での夢の中の不可解な様子など要領を得ない不思議な様子が不気味で後をひく。
しかしそんな暗いイメージとは対象的に密室トリックなど事件の全容は紅子から大盤振る舞いで解説されるのでスッキリとした読後感があった。カメラの前できっと何かやってくれるだろうという期待通りに、まさにカメラの前での推理ショーは気持ちがいい。
トリックも犯人もまったくわからなかったので、私は完全に紅子のショーを見る観客の一部だった。
立花亜裕実の要領を得ない証言と夢、そして被害者との奇妙な関係もあり、ヒントとミスリードがよく読み切れなかったのが、真相にたどり着けなかったの大きな要因かな……。
──タイトル
見るからに意味ありげなタイトルな『夢・出逢い・魔性』。サブタイトルの『You May Die in My Show』。そして読み方を変えて『夢で逢いましょう』のトリプルミーミング。相変わらず遊び心満載。
当たり前だが、読む前はタイトルの意味わけわからんけど、読んだあとはストンと納得できるのは流石。こういうのは先にタイトルを決めてから物語を作るのか、物語を作ってる途中で思いつくのか……。
──性別と先入観
練無が設定(女装)が物語のキーであったのは言わずもがな。その他にも序盤、犯人がに運転していたタクシーに保呂草たちは偶然乗り合わせたわけだが、タクシー運転手の多くが男性のため、その先入観のせいで、謎が深まってしまった。
そして何より驚いたのは、稲沢が女性であったこと。男だって言ってなかったっけ…?と思い読み返してみたところ
稲沢真澄と会うのは、3年ぶりだ。保呂草が海外にいるとき、日本から観光旅行でやってきた稲沢と妙な経緯で同じホテルになった。そのあと、一週間ほどずっと彼と一緒だった。
(引用:夢・出逢い・魔性 P58)
やはり彼って書いてある……!と思ったが、実はこれが三人称で語られているため、彼=稲沢ではなく、彼=保呂草、というトリックらしい。個人的にはグレーな気もする。
しかし、彼女の名前が真澄(ますみ)で男女どちらともとれる名前を採用していたことで疑えるヒントは隠れていたのだろう。
──印象に残ったセリフなど
自分の夫が殺されたばかりなのに、彼女は落ち着いていた。どこか冷めている。保呂草にはそれが不思議であり、また、自然であると思えた。これが、人間の本性、本来の動物としての機能かもしれない。愛する者の死、仲間の死を受け入れるために、まるでローンを組むように、少しずつショックを分散するのだろう。
(引用:夢・出逢い・魔性 P190)
いずれにしても、人ほど、自分の皮膚を不安に感じる動物はいない。人は服を着る。そのうえ家に籠もる。家や城を築く。堀や城壁で取り囲む。さらには、村を作り、国を作る。そうして、社会というシールドを構築し、常に、その綻びに目を光らせ、直し続けるのだ。
それが、人間という動物だろう。
幾重にも及ぶかぶりもの一生を脱がないまま、生きていこうとする。
最後には死装束に棺桶。
(引用:夢・出逢い・魔性 P414)
著者の、人について、生と死について、などの考え面白いんだよな。『最後には死装束に棺桶』とは皮肉がきいてる。
私がかぶっているものは、それが好きらしい。
(引用:夢・出逢い・魔性 P417)
保呂草の最後の言葉。あいも変わらず彼はミステリアス。本物の保呂草は何者なのか……。そもそも本物ってなんなのか……。
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