2022年4月に発売された、上橋菜穂子氏の新作長編ファンタジー『香君』の感想を語っていく。ネタバレありなので、未読の方はご注意を。
目次
あらすじ
遥か昔、神郷からもたらされたという奇跡の稲、オアレ稲。ウマール人はこの稲をもちいて帝国を作り上げた。この奇跡の稲をもたらし、香りで万象を知るという活神〈香君〉の庇護のもと、帝国は発展を続けてきたが、あるとき、オアレ稲に虫害が発生してしまう。
時を同じくして、ひとりの少女が帝都にやってきた。人並外れた嗅覚をもつ少女アイシャは、やがて、オアレ稲に秘められた謎と向き合っていくことになる。
感想
声を持たない草木が主張する"香り"という声。それが聞こえてしまう少女の物語『香君』。
聡く、心優しく、度胸も持ち合わせた少女・アイシャの覚悟と勇気の物語は、心振るわずにはいられない。上巻・下巻構成で文量はそこそこあるものの、読み始めたら一気に世界に入り込んでしまった。
本書『香君』に限ったことではないが、著者の作品はファンタジーという架空の世界のディテールが細かく、本当にその世界を見て描いたようなリアルさがある。
そのリアルさを感じさせるのは、政治、民族・風習、その土地それぞれの食事、街の風景・山の風景……そして特に今回でいうなら植物と虫の描写が惜しげなく語られているためであろう。
物語序盤から読んでいるのが辛いほどの境遇で、絶対絶命の状態のアイシャがどのように生き延び、そして彼女しか持っていない、『香りで万象を知る力』をどのように生かすのか……。読了後には熱い気持ちの残る一冊であった。
──『香りで万象を知る』
『香りで万象を知る』、初代香君のみが持っていたとされる力を持っていたアイシャ。その特別な力で物語の舵がきられていくわけたが、特別な力を持つ故の『孤独』というのがとても印象的だった。
香りが見える、聞こえるのが当たり前なのにそれは自分だけ。
他の人には見えない香りが見える、聞こえない香りが聞こえる。自分にとっては当たり前な事を、他の誰にも理解されないというのは、考えれば考えるほど悲しくなる。
確かにアイシャは香りで物事を知れる能力があるので、人より様々な事を知れるかもしれない。だがその能力によって誰にもわからない『孤独』な状況にある。
アイシャが人より聡く、勘が鋭い様子がたびたび描写されるが、これはなんとなくだがアイシャがずっと『孤独』だったためな気がする。
そして、そんなアイシャと対極として登場するのが現代の香君・オリエ。彼女がまたいい人すぎるんだ……。末永くマシュウと幸せになってほしい。
誰にもわからぬ世界にいるよう振る舞う君と、本当に、誰にもわからぬ世界にいるアイシャ。──君たちが助け合って生きることは、他の方法では得られない救いもあるんじゃないか」
(引用:香君〈上〉 P251)
上記はマシュウのセリフ。
『誰にもわからぬ世界にいるよう振る舞うオリエと、本当に、誰にもわからぬ世界にいるアイシャ。』
どちらも違う辛さがあるんだよなぁ……。
初代香君のような力を持つアイシャ。
オリエを救うため、そして本当の力を持っているアイシャに香君になってもらいたいと思うマシュウ。
実際に香君を努めているからこそ、この重荷を背負ってもらいたくないオリエ。
後半はとくに3人のそれぞれの想いと葛藤が胸に刺さった。
誰か一人でも明確な悪役なら話は違うんだけど、3人とも悪意がなく、他人思いなところがまたつらい。まぁ結局はキレイに収まるわけだが。
物語の流れ的に、アイシャが香君になるのではないか?と思っていたし、実際そうなったわけだが、香君になる場面が最高に盛り上がる……といったら失礼かもしれないが、読者目線からしたら、そうくるか!!と思わずにはいられない。アイシャかっこいい。
──神域オアレマヅラ
オアレ稲、天炉のバッタ、アイシャの母の謎……など、神域オアレマヅラは多くの謎を残したまま今回の物語は幕を閉じた。
アイシャたちオアレマヅラに行くかと思ってたけど、そんなことはなかったなぁ。でもそれは今後に……つまり続編に期待……!!
旅する香君になったアイシャならいずれオアレマヅラを訪れる可能性あると思う。オアレ稲の研究を続ける上で、オアレマヅラに行く、探す動機としては十分だと思うし……妄想の粋はでないけど。
──印象に残ったセリフ・名言
「嫌いっちゅうこともねぇでしょうが、リタランは、あの人はリタランじゃ、と、言われるのを好かんもんです。──誓いっちゅうもんは、ひっそりと立てるもんで。外から、あれやこれや言われるのは、いやなもんでしょうけ」
(引用:香君〈上〉 P90)
「誓いはひっそりと立てるもの」
誰にもわからぬ世界にいるよう振る舞う君と、本当に、誰にもわからぬ世界にいるアイシャ。──君たちが助け合って生きることは、他の方法では得られない救いもあるんじゃないか」
(引用:香君〈上〉 P251)
──人という生き物は、過去に幸せだった思い出だけでは、生きていけないのかとしれないわね。
あるとき、ふと、そう言ったオリエの言葉をアイシャはよく思い出した。
──この先にも、なにか幸せがあると思えなければ、苦しみを越えて行かれない。自分がしていることに意味がある、人を幸せにできると思えることが、私にとって救いなの。
(引用:香君〈下〉 P56)
最後に
著者のあとがきで、『香君』を書くにあたって、かなりの数の参考文献が挙げられている。とくに『生きものたちをつなぐ「かおり」──エコロジカルボタイルズ──』は気になる。是非読んでみようと思う。
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