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『三体Ⅲ 死神永生』感想:この物語の衝撃を私は文章で表現しきれない【劉慈欣】


 彼らは、絶滅という題名のこの壮大な絵画に真っ先に描かれた人類となったのである。

(引用:三体Ⅲ 死神永生《下》P275)


1巻で『三体世界』があることがあきらかになり、2巻で三体世界との接触が始まり……そして今回の3巻『死神永生』で地球文明VS三体文明の決着がつく。


と、普通なら思うじゃないですか。


度肝を抜かれるとはまさにこの事。感想はネタバレありなので未読の方はご注意を。

目次

感想

タイトルが『三体』だし、1巻、2巻の展開から考えても3巻は両文明の争いに決着がつく話だと普通は思うよね?大半の読者はそう思うはず。確かに決着……というよりは道連れに近いが決着はつくが……その後の展開は予想外だったな……。 


──この衝撃を文章で表現しきれない

『三体』を読み終わった後に襲ってくる感情は、面白かったとか、楽しかったとか、感動したとかではない。ただひたすらに衝撃だった。


小説に限らず物語において、その作品に惹きつけられる大きな要因の一つは”予想外”にあると思う。わかりやすい例でいえばミステリーのトリック。あとは練り込まれた伏線とその回収とか。


そういった読者をうならせる”予想外”が明らかになったときに、その作品に魅せられることが多いと思う。もちろんジャンルにもよるだろうが。


今回の『三体』はそんな予想外の連続に衝撃を受けた。1巻、2巻も十分すぎるほどの衝撃展開がたくさん待ち受けていたが、3巻に至ってはその1巻、2巻の出来事がまだまだ序章に過ぎなかったのだと思い知らされた。

こんなスケールの大きい物語と初めて出会ったよ。もちろんスケールが大きいだけでなくディテールが凝っているから、そのスケールの大きさに陳腐さがなくて、説得力とリアルさが物語を支えている。


正直私は、知識不足で3巻で語られる話の物理法則だとか宇宙法則だとか2次元、4次元、またその次元の崩壊の話だとか、時間の概念だとか理解しきれてないし、読解力と想像力も足りないから4次元の描写とかイメージしきれなかった。


しかしそんなことは些末な問題だ。もちろん知識があったほうが楽しめるのは間違いないが、細かい知識がなかったとしても、『三体』で語られる宇宙の広大さと登場人物たちの葛藤と活躍を楽しむには何の問題もない。



──物語の結末は……

先程も触れたが私は、『三体』は三体文明VS地球文明の対決が描かれた作品だと思っていた。事実3巻の《上巻》まではそうだった。そして甘い考えを持っていたので「どうせ最後は地球文明がなんとか生き延びるんだろう」と考えていた。


だからこそ、暗黒森林攻撃によってあっさりと地球、そして太陽系が滅びた時は開いた口がふさがらなかった。じゃあこの物語は最後はどこに向かっていくんだ!?と。ここが私が『三体』で一番の衝撃うけた所。予想外。


『三体』は地球文明VS三体文明なんて小さなスケールの物語ではなかった。この物語が三体文明VS地球文明の物語だけだと思っていた、自分の想像力を恥じている。


とはいったものの、まさか宇宙の終わりと始まりにまでスケールが発展していくなんて誰も思わんだろ!!

 いま、わたしの責任の階段をてっぺんまで昇りつめた。宇宙の命運に対する責任を担っている。もちろんその責任を担うのは、わたしと関一帆の二人だけではないだろう。しかし、わたしたち二人にも分担すべき責任がある。とても想像できなかったような責任がある。

(引用:三体Ⅲ 死神永生《下》P419)


──印象に残った台詞など

「生命なんか、この惑星の表面にへばりついてる、もろくて柔らかな薄皮でしかないと思ってる?」
「違うの?」
「正しいよ、時間の力を計算に入れなければね。米粒サイズの土くれを倦まずたゆまず運びつづける蟻のコロニーに、十億の時間を与えたら、泰山をまるごと動かすことができる。十分な時間を与えるだけで、生命は岩石や金属よりも強固になるし、ハリケーンや火山よりも強力になる」

(引用:三体Ⅲ 死神永生《上》P40)

この前後の話も含めてシンプルに面白い。

では、宇宙は、生命によってすでにどれだけ変わってしまっているのだろう?どれほどのレベル、どれほどの深度で改変がなされているのだろう?

(引用:三体Ⅲ 死神永生《上》P42)

ここ読んでる時は興味深いなーくらいにしか思ってなかったけど、『宇宙は、生命によってすでにどれだけ変わってしまっているのだろう?』この問の、作者なりの答えが見られるとは思ってもなかった。

「われわれは、脳だけ送る」とウェイドは言った。

(引用:三体Ⅲ 死神永生《上》P107)

生命が海から陸に上がったのは、地球上の生物が進化するうえでのマイルストーンでした。しかし陸に上がった魚は、もはや魚ではありません。同様に、実際に宇宙に出た人間は、もはや人間ではないのです。

(引用:三体Ⅲ 死神永生《上》P157-158)


 人類文明という幼い子どもは、玄関のドアを開け、外を覗いてみた。しかし、果てしなく広がる夜の深い闇に縮み上がり、あわててドアをまたしっかりと閉ざしたのである。

(引用:三体Ⅲ 死神永生《下》P152)

 彼らは、絶滅という題名のこの壮大な絵画に真っ先に描かれた人類となったのである。

(引用:三体Ⅲ 死神永生《下》P275)

ここの絶望感はんぱなかったな。
こんな簡単に太陽系が終わるとは思わなかった。

「たぶん、もうそうなっている……新世界の物理学者と宇宙論研究者がいま努力していることはただひとつだけ。戦争前の宇宙のありようをとり戻すことだ。彼らはすでに、戦前の宇宙の姿をかなり明晰に記述する数理モデルを構築している。いまから百億年以上も昔に遡る、その時代の宇宙は、まさにエデンの園のような美しい楽園だった。もちろん、その美しさは数学でしか表現できないけどね。目に見えるかたちで描き出すことはできない。ぼくらの脳の次元の数が足りないからね」

(引用:三体Ⅲ 死神永生《下》P364)
先程の『宇宙は、生命によってすでにどれだけ変わってしまっているのだろう?』の答え。

「あなたはいまもまだ、責任のために生きているんですね」

(引用:三体Ⅲ 死神永生《下》P417)


最後に

間違いなく最近読んだ小説で一番の傑作だった。1巻より2巻。そして2巻より3巻。3巻の上巻より3巻の下巻……と、こんなに見事に高くなるハードルを超えてくるとは思わなかった。


とにかく作者の想像力に感服する。どんな人生を歩んだらこんな物語を作れるのか……。




【オススメ】




『聖女の救済』の感想を好き勝手に語る【東野圭吾】


「理論的には考えられるが、現実にはありえない、という意味だ。北海道にいる夫人が東京にいる夫に毒を飲ませる方法が一つだけある。だけどそれを実行した可能性は、限りなくゼロに近い。わかるかい?トリックは可能だが、実行することは不可能だということなんだ」

(引用:聖女の救済 P287/東野圭吾)


ガリレオシリーズ第5作品目、東野圭吾の『聖女の救済』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。あらすじ・紹介はコチラから。


目次

感想

”誰が”、”どうやって”犯行を実行したのか?その謎を徐々に解き明かす過程を楽しむのが一般なミステリーと言っていいだろう。


『聖女の救済』はあらかじめ犯人は明らかである。”誰が”の部分は明らかで、”どうやって”のトリック部分だけで勝負した作品になっている。


あえて殺害方法だけがわからない状態だからそこ、読者は”どうやって”殺害したのかに絞って知恵を巡らせることができる。
なのにトリックがわからない。


このトリックを初見で見抜ける人っているのかな……。少なくとも私は完敗。

「今日、君が帰った後も、あれこれと考えてみた。真柴夫人が毒を入れたと仮定して、どういう方法を用いたのかをね。だけどどうしてもわからない。僕が出した結論は、この方程式に解はない、というものだった。ただ一つを除いてね」
「ただ一つ?じゃあ、あるんじゃないですか」
「ただし、虚数解だ」
「虚数解?」
「理論的には考えられるが、現実にはありえない、という意味だ。北海道にいる夫人が東京にいる夫に毒を飲ませる方法が一つだけある。だけどそれを実行した可能性は、限りなくゼロに近い。わかるかい?トリックは可能だが、実行することは不可能だということなんだ」

(引用:聖女の救済 P287/東野圭吾)


この台詞が『聖女の救済』一番の名言だと思う。


いくら考えてもわからなかったトリックの解を論理的に導き出した湯川は流石の一言……。しかしそれ以上にそのトリックが『虚数解』である……と。この謎めいた発言で更に物語に引き込まれた。



「理論的には考えられるが、現実にはありえない、という意味だ。北海道にいる夫人が東京にいる夫に毒を飲ませる方法が一つだけある。だけどそれを実行した可能性は、限りなくゼロに近い。わかるかい?トリックは可能だが、実行することは不可能だということなんだ」

このトリックを『虚数解』と例えるのが言い得て妙である。


──ガリレオシリーズだからこそ……

『予想外のトリック』が『聖女の救済』一番の見所なのは間違いないが、もう一つ、物語を面白くしているポイントは草薙が犯人に心惹かれてしまうところだと思う。


綾音が夫を遠くから毒殺する方法を考える薫と湯川。逆に綾音に恋心を抱いてしまったが故に、犯人ではない証拠を探す草薙。

 
普段は協力?している湯川と草薙が対立するように事件に挑むのは新鮮で面白い。まぁ草薙の恋心があったからこそ、犯人を追い込むことができたというのは皮肉すぎたが……。


このトリックがあれば単発の作品でも間違いなく面白いと思うが、ガリレオシリーズだからこそ……湯川と草薙の二人がいたからこそ感情移入ができて面白さが際立っていると思った。

──名言・印象に残ってる台詞等

「この一年間、夫人はいつでも真柴氏を殺すことが出来た。その上で、彼が誤って毒を飲まないよう、細心の注意を払い続けてきた。ふつうの人間は、どうやって人を殺すかに腐心し、労力を使う。だが今回の犯人は逆だ。殺さないことに全精力を傾けた。こんな犯人はいない。古今東西、どこにもいない。

(引用:聖女の救済 P392/東野圭吾)

『虚数解』の理由。
その虚数解を導き出せる湯川がすごいよ。

「明日からニ、三日、家を留守にしたいの。あなたを一人にしておくのは心配なんだけど」
彼は、何だそんなことか、と笑った。
「構わないよ。俺は一人で大丈夫だから」
そう、と綾音は頷いた。夫への救済が終わった瞬間だった。

(引用:聖女の救済 P420/東野圭吾)

タイトルの意味がわかるところ。鳥肌ポイント。



【オススメ】




『図書館の魔女』マツリカ様の名言集【高田大介】


『図書館の魔女』のマツリカによる名言をまとめた。自分用の説もある。
《中略》している箇所もあるので、前後の文や、全文を確認したい場合は、自らで本を開いてほしい。そのため引用は単行本用、文庫本用それぞれ用意した。


感想や考察等、『図書館の魔女』関係の記事はコチラ

目次

──第一巻(上巻)

──科学者でもいい、博物学の徒でも文献に沈くものでも構わないが、人がこの世界について何か新たに余人の知りえぬことを見いだしたと思ったとき、必ずや人は書物を著す。そのようにこの世界の森羅万象を明らめ、究めようと一冊の書物が生まれ、類書に並んでいく。こうして世界のありとあらゆる事どもを細大漏らさず記すべく数限りない書物が書架に背を並べ、やがては書物の詰まった棚の数々がそれじたい一つの世界をなして、網の目のように絡まりあって世界の全体を搦めとっていこうとする。これが図書館だよ、キリヒト。

(引用:図書館の魔女 1巻P93/上巻P78)




──図書館にある書物は、すべてが互いに関連しあって一つの稠密な世界を形づくっている。《中略》図書館は人の知りうる世界の縮図なんだ。図書館に携わるものの驕りを込めて言わせてもらえば、図書館こそ世界なんだよ

(引用:図書館の魔女 1巻P94/上巻P78-79)


図書館こそ世界


「マツリカ様はその……本と本との網の目ような絡まりあいがみんな頭に入っているのですか。この図書館の本の全ての……」
──とんでもない。《中略》全てを知り全てを覚えておく必要はないんだよ。そこに然々の智慧があるということを知っていること、その智慧をどこに行けば参照できるのかといこと、それだけ判っていれば足りるんだ。智慧と智慧がどのように関係しあい、どのように組み立てられていくのか、その大ざっぱな構図が見えていれば、あとはゆっくり解きほぐしていけばいいんだ

(引用:図書館の魔女 1巻P104/上巻P86-87)


マツリカの考え方の根本

──全ての書物を読んでいるだなんて。読みうる書物の量に比べれば人の一生なんて短いものだよ。読むか読まざるか、その選択がおぼつかなければ書物につきあうことはむしろ時間の浪費につながるよ。

(引用:図書館の魔女 1巻P108/上巻P90)


大きい本屋とか図書館にいくと、自分の人生全部使っても、ここの本たちの数%も読めないんだなぁって思い知らされる。

──もうひとつ、今度は結論から言おう。声に出す、文字に記す、私のように手振りを組み立てるのでもいい、どんな手段に依るにせよ言葉たるものは必ず時の運行に従うということだ。言葉は一方通行で不可逆

(引用:図書館の魔女 1巻P132/上巻P109)

「ふかぎゃく……」

──第二巻(上巻)

──本当に秘密を守るのは共犯者だけだからね。そこを弁えてなんぴとにも井戸のことを漏らしてはいけない。

(引用:図書館の魔女 2巻P12/上巻P298)

井戸の冒険、ホントわくわくするよね。

「マツリカ様、暗いのが怖いのですか」
──怖いかって?怖いものか!それは怖いよ、でも暗闇が怖いんじゃないよ、お前はどうして怖くないんだ?

(引用:図書館の魔女 2巻P58/上巻P335)

かわいい

──それはお考えになりますよ。人は見たことがないものでも知ることが出来るし、理解することも出来る。こうして小さな魚がどんなに美しいかということもあらかじめ知っていることはできる。でも、実際にこうして見てみて、ほんとうに美しいねと思うこととは、それは別のことだね。実際に見てみて心を震わせるということは知識として「美しい」と知っていることとはぜんぜん異なったことなんだろう。そういうことは知っていても仕方のないものなのかもしれない。

(引用:図書館の魔女 2巻P276-277/上巻P513-514)


ここの一文は、この後のキリヒトの描写で引き立つ。『ほんとうに美しいねと思うこと』


──いやカリームの、ウルハイのといった話ではない。後ろ盾を余所に求めるのは終わりにしよう。これからは図書館があなたたちを守ろう。あなたたちに弓を引くなら、それは図書館に弓を引くということ。

(引用:図書館の魔女 2巻P389-390/上巻P605)

かっこいいマツリカ様。
キリンとハルカゼが明確に図書館側についた瞬間。


──お前はずっと私の手をとっていなければならないだろう。このように。
キリヒトは黙っていた。
──ならばあの杖を振るうには手が足りないね。鞘が抜けない……

(引用:図書館の魔女 2巻P443/上巻P650)

キリヒトの運命と図書館の番人に生まれた自分の運命を重ねた後のこの言葉……刺さる……。

──第三巻(下巻)

「それが図書館の仕事であると」
──そうだ。この小さな欠片を未来に届けるのが図書館の責務だ。この上なく具体的な責任だ。「書一般」なんていう得体の知れない抽象物に拘っている暇はないな。

(引用:図書館の魔女 3巻P62-63/下巻P52)

この前のマツリカの台詞も名言だが長すぎるため泣く泣くカット。マツリカが語る上記の引用した部分も刺さるものがあるし、そのあとのイズミルの回想シーンもまたどストライク。


このシーンはピックアップして感想を書いている。


──だってあんな下らないものを大真面目に閲覧したがっているのが既に滑稽でしょう。《中略》まあ秘宝の書などといえば大概は愚書が馬鹿を呼び寄せているようなものだ。そして馬鹿が愚書を崇めるから無用な悪循環になる。それに高い塔下さいま付き合ってやらねばならない義理なんてないだろう?願い下げだよ。だから却下!悪い?

(引用:図書館の魔女 3巻P73-74/下巻P60-61)


ファンタジーなのに、禁書やら秘宝の書やらを真っ向から論理的に否定するの楽しすぎる。マツリカの意見がド正論すぎる。

──他には?
 マツリカはふとキリヒトを見上げて黙った。マツリカは先のことで細かく指示をだしはじめると途端に舌鋒が戻ってきていた。そうは言っても荷台の隅に凭れて、弱々しく右手で語るマツリカはキリヒトには随分消耗しているように見えた。痛々しかった。
──他には……そうだな……側に──用はなくとも、手の届くところに。

(引用:図書館の魔女 3巻P211-212/下巻P173)


双子座に左手を縛られた後のシーン。普段が強気なだけに、弱ってるマツリカはギャップがある。名言というよりは印象に残ってる場面。


──第四巻(下巻)

「しかしこれはインチキ手品になりますが……」キリンが躊躇い顔に指摘する。
──インチキはしているところを公然と見せれば詐術に当たらない。ここは私が誤魔化してみせるから、そういう話になればこっちにお鉢を回して。

(引用:図書館の魔女 4巻175/下巻P435-436)

水槌の所も好きな所の一つ。他に手がないとはいえ、いっぱつ勝負でこの胆力よ。


「なに、マツリカ様、鎧は一対、もう一つある」
──わかった、下で待つ。
「では後ほど、我が姫君」
──お前に後で用ができた。必ず無事で降りてこい。

(引用:図書館の魔女 4巻P412/下巻P626-627)

人形の館からの脱出シーン。ここも名言というよりは好きな所。前後のやりとりありきだけど。


──そうとも、お前は図書館のものだ。もう、とっくに。でもそれは、身に及ぶ危険を遠ざけるのにお前が、お前の能力が必要だから図書館にいなければならないということではない。お前が自分の意思で図書館を選ぶのでなければならない。お前が私の側にいるならば、それは好都合な随身として必要だからいるのではなく、図書館の魔女を守るために必要だからいるのではなく、お前自身が自分の意志でそれを選ぶのでなければならない。

(引用:図書館の魔女 4巻P469/下巻P672)

4巻後半は、もう引用したいところのオンパレード。

──だったら……図書館においで。

(引用:図書館の魔女 4巻P471/下巻P674)


──高い塔に踏み込んだ者達はみな善かれ悪しから障害の岐路を知る。今まで知らぬ世界をいくつも知ることになり、それとは逆に、生涯会うことはない人々、足を踏み入れることのない土地、手にすることのない宝、聴くことのない歌の存在を知る。《中略》
だから図書館は人の命運に選択を迫る。人はそこで知ることを覚え、知りえぬことを悟る。選ぶことを学び、選びえぬことを知る。そしてひいては、高い塔で人は、生涯を選ぶ。

(引用:図書館の魔女 4巻P533/下巻P724-725)

《中略》でかなり省いてしまったが(省略しないと、この3倍くらいになってしまうため)、ここは全部含めて読んでほしい……!この物語『図書館の魔女』のまとめになっている。

──私の自信は、私の言葉が人に届くということ、これ一つで私は、私たちはたたかっていける。そして私の失望は、私の言葉の届かなかった者達がいたということだ。

(引用:図書館の魔女 P536/下巻P727)


「言葉は絶えない……」
──お前達は言葉を手段か何か、道具のようなものと考えていたんだろう。だから「道具」を奪えばこと足りると考えたんだろう。黙らせられると考えたんだろう。それが最初にして最大の踏み外しだった。言葉は何かを伝えるためにあるんじゃないよ。言葉そのものがその何かなんだ。言葉は意思伝達の手段なんかじゃない。言葉こそ意思、言葉こそ「私」……。

(引用:図書館の魔女 4巻P589/下巻P769)



【最後に】
あそこの名言抜けているよ!!っていうのがあったら教えていただけると非常に嬉しい。

霆ける塔を読むまでは死ねない。






【オススメ】




『重力ピエロ』の感想を好き勝手に語る【伊坂幸太郎】


春が二階から落ちてきた。

(引用:重力ピエロ P9/伊坂幸太郎)

今回は伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。

目次

あらすじ

兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟は大人になった頃、事件は始まる。連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートの出現。そしてそのグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは──。溢れくる未知の感動、小説の軌跡が今ここに。

(引用:重力ピエロ 裏表紙/伊坂幸太郎)


感想

登場人物たちのユーモアな会話や言葉選びで軽快に物語は進むのにも関わらず、レイプ、放火、父の癌……と、取り扱っている題材は、かなり重いラインナップである。


本書の名言の一つに「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」とある。『重力ピエロ』は春の上記の名言を、まさに実行してる物語のようである。深刻なテーマな物語であるにも関わらず、軽快でユーモアある……つまり陽気なやりとりで構成されている。



読み進めているときには気づかない、何気ないエピソードの一つひとつが最後に線で結ばれる様子が圧巻。著者の作品を数多く読んでいる訳ではないが、「あぁ、この感じが伊坂幸太郎だなぁ」と思い知らされる。


──最強の家族

泉水と春のやりとりが絶妙。そして父を交えることでさらにやりとりに拍車がかかる。彼らのやりとりだけで、いかに仲の良い家族であるか、よくわかる。


泉水が遺伝子関係の仕事についたのは、因縁を感じずにはいられない。春と仲のいい兄弟だからこそ、そこに本当の繋がりがないのは、心の底では兄として寂しさがあり、怖さもあったのではないかと想像してしまった。



だからこそ

「おまえは俺に似て、嘘が下手だ」

(引用:重力ピエロ P456)

父のこの台詞は心にささる。
はたからみたら何でもない言葉。だけど二人にとっては……。


血が繋がっていないのに……いや、血が繋がっていないからこそ、彼ら家族の絆が出来上がっているのかもしれない。本書の父親の台詞にもあったが、彼らは最強の家族である。



──印象に残った台詞・名言等

好きな台詞やりとりが多すぎる。長くなるだろうがかまわず列挙する。

春が二階から落ちてきた。

(引用:重力ピエロ P9)

言わずと知れた一行目。こんなに忘れられない小説の一行目はない。

下記のページの『印象に残ってる1行目・冒頭』でも取り上げているのでよければコチラもどうぞ。


「夏子さん」と、私と父はその子を呼んだ。「春」を追いかけまわすのは、「夏」に決まっているからだ。

(引用:重力ピエロ P60)

春のストーカーだから『夏』
ユーモアとセンスが溢れてる。


「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」春は、誰にいうわけでもなさそうで、噛み締めるように言った。「重いものを背負いながら、タップを踏むように」
 それは詩のようにも聞こえ、「ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ」と続ける彼の言葉はさらに、印象的だった。

(引用:重力ピエロ P106)


「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」は、本書で一番好きな名言。

この精神はホント大事。



「人間はさ、いつも自分が一番大変だ、と思うんだ」
「何のことだ」
「不幸とか、病気だとか、仕事が忙しいだとか、とにかく、自分が他の誰よりも大変な人生を送っている。そういう顔をしている。それに比べれば、あの鳩のほうが偉い。自分が一番つらいとは思っていない」

(引用:重力ピエロ P187)

真理。

「多数決と法律は、重要なことに限って、約経たずなんだ」

(引用:重力ピエロ P209)


ピエロは、重力を忘れさせるために、メイクをし、玉に乗り、空中ブランコで優雅に飛び、時には不恰好に転ぶ。何かを忘れさせるために、だ。私が常識や法律を持ち出すまでもなく、重力は放っておいても働いてくれる。それならば、唯一の兄弟である私は、その重力に逆らってみせるべきではないか。

(引用:重力ピエロ P449)


「おまえは俺に似て、嘘が下手だ」

(引用:重力ピエロ P456)


「おまえは許されないことをやった。ただ、俺たちは許すんだよ」

(引用:重力ピエロ P459)



最後に

『春が二階から落ちてきた』
この始まりはあまりにインパクトがあって有名だし、物語の最後もこれで終わる。キレイにまとまりすぎてて畏怖の念すら湧いてくる。



【オススメ記事】






『舟を編む』感想:辞書を引くたびにこの作品を思い出すだろう【三浦しをん】


「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」

(引用:舟を編む P283-284/三浦しをん)


今回は2012年に本屋大賞を受賞した、三浦しをんの『舟を編む』の感想を語っていく。アニメ化、そして映画化もされているこの人気作は期待を裏切らなかった…!ネタバレありなので未読の方はコチラであらすじ等紹介しているのでよければとうぞ。


目次

感想

本屋大賞受賞も納得の面白さ。辞書作りにかける熱い思いを中心に、しかしそれだけではなく、コミカルさと恋愛模様も描かれていてサクサクと読み切れてしまった。
この『辞書作り』という新しい世界に触れたことが本書を読んで一番の収穫だった。


──辞書を引くたびにこの作品を思い出すだろう

今後の人生で、辞書を引くたびに『舟を編む』を思い出すだろう。そして引いた言葉を読みながら「誰かがこの言葉を載せたんだな」と思いをはせるだろう。


ちょっと大袈裟かもしれないが、そう思えるくらい辞書について思い入れができた。そう感じた人も少なくないだろう。


辞書が、『誰が』『どうやって』『何を思って』作られていたか、この本を読むまで知る由もなかった。


この物語がフィクションだとはいえ、世の中の辞書たちには同じような製作者たちの熱い想いが詰まっていると思うと、辞書の淡々とした言葉の羅列は無味乾燥のものではなく、一文字一文字を取捨選択した結果の結晶であり、完成した一冊はとてつもない努力の結果なんだと思い知らされた。圧倒されるとはこのことだろう。


よくその厚みから鈍器だとか言われるが、その質量以上の”重み”があることを教えてくれた。


普通に生きていたら知ることはなかったであろう、ある意味職人たちの仕事を知れてよかった。これだから仕事について描かれている小説はたまらない。



──静と動、馬締と西岡

名前のごとく真面目な馬締と、辞書作りには向いてなさそうなチャラさが特徴の西岡。この静と動のコンビがたまらなく好き。


あるゆる所が正反対の普通なら相容れないだろう二人が辞書を通じてお互い成長していく様子が『舟を編む』のもう一つの見所だと思う。



もちろん馬締と香具矢の恋愛模様ももどかしくてつい、応援したくなる面白さがあり見所ではあるが、どちらかというと、個人的には馬締と西岡のやりとりが印象に残ってるのが多い。

馬締は真剣な表情のまま、首を振った。「西岡さん。俺は西岡さんが異動になること、本当に残念です。『大渡海』を血を通った辞書にするためにも、西岡さんは辞書編集部に絶対に必要な人なのに」

(引用:舟を編む P168)

──『言葉は海であり、辞書とは海を渡っていく舟 』

辞書を扱う物語だけあって『言葉』や『台詞』も印象に残るものがたくさんあった。


辞書に魅入られた人々は、どうも西岡の理解の範囲から外れる。
《中略》
一種狂的な熱が、彼らのなかにうず巻いているようだ。かといって、辞書を愛しているのかというと、ちょっと違うのではないかと西岡は感じられる。愛するものを、あんなに冷静かつ執拗に、分析し研究しつくすことができるだろうか?憎い仇の情報を集めまくるに似た執念ではないか。

(引用:舟を編む P151)


馬締は真剣な表情のまま、首を振った。「西岡さん。俺は西岡さんが異動になること、本当に残念です。『大渡海』を血を通った辞書にするためにも、西岡かんは辞書編集部に絶対に必要な人なのに」

(引用:舟を編む P168)

「言葉の海は広く深い」

(引用:舟を編む P242)

「料理の感想に、複雑な言葉は必要ありません。『おいしい』の一言や、召し上がったときの表情だけで、私たち板前は報われたと感じるのです。でも、修行のためには言葉が必要です。」
《中略》
「私は十代から板前修行の道に入りましたが、馬締と会ってようやく、言葉の重要性に気づきました。馬締が言うには、記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです」

(引用:舟を編む P266-267)

『記憶とは言葉』、『曖昧なまま眠っていたものを言語化する』
納得しかない。


「言葉は、言葉を生み出す心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものなのです。また、そうであらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟。『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」

(引用:舟を編む P283-284)

「まじめさーん、お客さまです」
《中略》
女性社員の呼びかけに応え、男は振り返った。銀縁の眼鏡をかけている。「にもかかわらず、あだ名は『メガネ』ではなく『真面目』」と、荒木がまたも気を引き締めるあいだに、男はひょろ長い手足を持てあます風情で、ゆっくり近づいてきた。
「はい、まじめですが」
な、なにーっ。まさか、本人も真面目を自認しているとは!

(引用:舟を編む P21-22)


このコミカルさもいい。本編の辞書作りが真面目な分、合間あいまに入る登場人物たちのやりとりでバランスが取れている。

最後に

学生のころは何気なく使っていた辞書だけど、多くの人の執念と情熱が詰まっていたのだな、と思い知らされた。『船を編む』を読んだら、電子辞書でなくてGoogleでもなくて、紙の辞書で言葉を調べてみたくなるだろう。きっとそこから彼らの情熱が感じられるはずだ。




【オススメ】




『マスカレード・ナイト』の映画を見た方への補足解説+映画と原作の違い【東野圭吾】



2021年9月17日に公開された映画、東野圭吾の『マスカレード・ナイト』。前作『マスカレード・ホテル』の続編ということで楽しみにしていた方も多いはず。


今回は原作は読んでないけど映画だけ見た方向けの補足解説的なものを書いた。内容は

①犯人、密告者、協力者の関係(事件の概要)
②映画では語られなかった事件の詳細
について述べていく。


あとはおまけで、映画と原作の違いも書いたので、原作を読んだ方も楽しめると思う。

※映画は一度見ただけなので、今回書いた内容と差異があったらご教授願いたい。


ネタバレありなのでご注意を。

目次

①犯人、密告者、協力者の関係(事件の概要)

今回の映画では、前作『マスカレード・ホテル』と違い、殺人の犯人、その密告者、そして殺人犯の協力者(正確には協力ではなく脅されていたのだが)の3つの立場の人間が登場することで事件が少しややこしくなっている。


映画だけでは理解が追いつかなかった方のために彼らの関係を詳しく見ていく。


まずは登場人物の確認。


被害者は和泉春奈


和泉春奈が殺された事件の犯人は仲根緑(本名:森沢光留)。(山岸に無理難題をふっかけてきた日下部が一目惚れした人物)


密告者は貝塚由里曽野万智子。(曽野万智子は3人家族の嫁、そして貝塚由里は万智子の夫の浮気相手)


協力者は、浦部幹夫(本名:内山幹夫)。(ぺんぎんの被り物をしていた人物)



事件の大雑把な概要は、仲根緑の犯行を曽野万智子が息子経由(望遠カメラで部屋を覗いた)で気づいてしまう。


仲根緑を脅して金を要求しようと、曽野万智子は友人の貝塚由里に協力を仰ぐ。


曽野万智子と貝塚由里は金の受け渡し場所にホテルコルテシアを指定。


計画の途中で曽野万智子は、貝塚由里と夫が浮気していることに気づき、貝塚由里を裏切ることに。曽野万智子は仲根緑に、金の要求を取り下げる代わりに貝塚由里を殺害してほしいと依頼。仲根緑はこれを承諾。


仲根緑は浦部幹夫の弱みを握っていた(浦部は妻子持ちなのにも関わらず和泉春奈との関係があった)ため、今回の密告者と警察の目を誤魔化すために、浦部幹夫は仲根緑に利用されていた。


以上が、事件の登場人物の関係と、大雑把な概要である。


②映画では語られなかった事件の詳細

原作では、事件が一段落した後に事件の関係者の供述場面が描かれており、そこで事件の細部を知ることになる。

──仲根緑(森沢光留)の本性

犯人の仲根緑(本名:森沢光留、以下森沢)に関しては映画で大部分語られていたが重要なのでかぶるところがあるのはご容赦してほしい。


森沢は仲のいい双子の妹の世羅がいた。その妹はレイプされたことで自殺してまったのだが、レイプされた後の警察の取り調べがさらに妹を苦しめた結果、自殺してしまったという。そのため、森沢は警察に恨みを抱えていた。


ちなみに森沢が女裝趣味(性同一性障害?)なのは妹が原因で、妹が森沢に化粧を施したことが根源である。もともと女裝映えする顔立ちだったこともあるだろうが。


映画では語られていなかったはずだが、森沢は裕福な医者家系に生まれ、現在の肩書きは神経科クリニックの院長である。貝塚たちに多額の現金を要求されたのも、森沢が金持ちだと判明したからである。





──被害者と内山幹夫の関係

被害者の和泉春奈と浦部幹夫(本名:内山幹夫、以下内山)は、男女の関係にあった。二人は、内山が飼っている犬のリードが外れ、和泉に犬がかけよったことがきっかけで知り合った。


映画では、和泉のお腹の子供が誰の子であるか詳しく語られていなかったが、内山の子である。そして和泉は子供ができたことを喜んていた。


まぁ先程も少し触れたが、内山は妻子持ちだったわけだが……。


──ロリータファッション

なぜ、被害者の和泉がロリータファッションをしていたかというと、森沢は和泉に対してマインドコントロールに近いことしていた。


前述した通り、森沢は妹を溺愛していてその妹の代わりに仕立て上げるため、妹が着ていたロリータファッションを和泉にさせていた。


しかし、その妹役の和泉が内山と男女の関係になったしまったことに、森沢は激怒し和泉を殺害してしまったのである。



──新田が仮装した森沢に気づいた理由

映画では、パーティ会場で沢山の人の中からピンポイントで新田が仮装している森沢に気づく。「目の色でわかった」ような事を言っていたが流石に無茶だろ!思った方も多いだろう。


原作では、パーティ会場に入る前に新田が不審人物として森沢をマークする。ホテルコルテシアの制服と似た服をきた人物(仮面をしていたため、顔はわからなかった)を新田が見つける。(森沢が制服を着ていた理由は、ホテル内を自由に歩きやすくするため)


森沢はトイレで制服を着替え、マイケル・ジャクソンの仮装をしてパーティ会場へ。トイレから出てきた人物が違うことで怪しさを確信に変えた新田がパーティ会場で森沢に声をかける。といった感じ。


ちなみに瞳のくだりは原作でもある。


おまけ:映画と原作の異なる点

映画と原作の大きく異なる点を気づいた範囲で書いていく。


①映画では大晦日、一日の出来事として描かれているが、原作では4日間である(元旦を入れれば5日間)


5日間の出来事を一日に凝縮したらそりゃキツキツになるよな。すごいのは登場人物はほとんど変わらないこと。裏を返せばキーパーソンが多すぎて省けなかったとも考えられる。



②登場していない人物
重要そうな原作にしか登場しない人物

・ホワイト氏
コルテシアの常連。ホテルの様子がいつもの違うことに気付く。そのことを山岸にも伝えていた。


・ミイラ男
森沢が雇った人物。内山と同じ、パーティの時の撹乱がかり。


・笠木
森沢にかつてマインドコントロールされていた人物。彼女からの証言で新田たちは森沢の本性を知る。


③曽野の夫がホテルから出て行った理由
曽野万智子の夫がパーティ直前に出て行った。映画では確かコンビニに行くと言っていた?(曖昧)


原作では詳細が語られていて、万智子が嘘をついて夫をマンションに帰らせた。(自宅の車に悪戯されているとマンション管理会社から電話があったとかなんとか)これは、夫に容疑がかからないようにするため。



④山岸の時計
映画では、物語序盤で時計のことを新田と話している。印象的な場面で、「これ、伏線になるんじゃね?」と気づきやすいと思う。


原作ではもう少し凝っていて、山岸の時計の時間が遅れていることを新田が知るのは、山岸が襲われた後である。


原作で、山岸は時計をしている描写はあったうえで『正確な時間を確認するためにスマートフォンをみた』という箇所がある。
原作のほうがちょって複雑である。


最後に

『マスカレード・ナイト』映画の感想をいうと、警察の潜入わかりやすすぎじゃね?とか思うところもあるが、まぁ映画だし、わかりやすくするためにはしょうがないのかな、と。


『マスカレード・ホテル』と比べるとカットされてる場面も少ないし、よくこのボリュームを詰め込んだなぁと思う。


エンタメとして楽しめる作品なのは間違いない。


そろそろ原作のほうも、『マスカレード・ナイト』の続き読みたいのだが……東野先生……どうでしょうか?

原作の感想はコチラ




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『透明な螺旋』の感想とタイトルの考察【東野圭吾】





東野圭吾の大人気作品『ガリレオシリーズ』。今回は2021年9月に発売されたシリーズ10作目『透明な螺旋』の感想を語っていく。ネタバレありなので未読の方はご注意を。


目次

あらすじ

シリーズ第十弾。最新長編。 今、明かされる「ガリレオの真実」。 房総沖で男性の銃殺遺体が見つかった。 失踪した恋人の行方をたどると、関係者として天才物理学者の名が浮上した。 警視庁の刑事・草薙は、横須賀の両親のもとで過ごす湯川学を訪ねる。 「愛する人を守ることは罪なのか」 ガリレオシリーズ最大の秘密が明かされる。

(引用:https://www.amazon.co.jp/%E9%80%8F%E6%98%8E%E3%81%AA%E8%9E%BA%E6%97%8B-%E6%9D%B1%E9%87%8E-%E5%9C%AD%E5%90%BE/dp/4163914242


感想

ガリレオシリーズといえば、理系トリックのイメージが強いが、それは短編作品。長編に関していえば人間関係と登場人物にスポットを当てた作品というのが私のイメージ。



そして今回の『透明な螺旋』はガリレオ長編としては5作目となる。


事件に関しては、上辻は典型的なDV男で同情することもないし、凝ったトリックがあるわけではなかったし、比較的シンプルな印象(ガリレオシリーズにしては)。


いつも通り湯川が事件の真相に迫っていき、「え?このまま山場もなく終わってしまうの?」と思っていたら、もちろんそんなことはなくて安心した。


松永奈江の存在がずっと読んでてひっかかっていた。最初は冒頭の施設に子供を預けた人物かと思ったがそうではなく、かといって犯人でもない。でも明らかに物語の鍵を握っていそうな人物。


湯川の口から「実の母親」と明かされたときは、本当にびっくりして「えっ!」と思わず声を出しでしまった。まさかここにきて湯川の過去が明かされるとはなぁ……。


両親の介護事情がでてきたりと、湯川や草薙もシリーズのなかで歳をとってきたなぁと思わずにはいられない。なんだがガリレオシリーズの終わりもそう遠くなさそうだなぁと感じてしまった。

──タイトルと表紙の意味

表紙は黒のバックに赤い薔薇と透明な2つの手とDNA。シンプル。東野圭吾ファンならピンとくる方もいるだろうが、黒のバックに赤の薔薇の組み合わせは、同じガリレオシリーズの『容疑者Xの献身』を連想させられる。並べてみると一目瞭然だ。



そして表紙だけでなく、内容に注目しても『容疑者Xの献身』と似ている部分がある。


それは、愛する人を守る為に殺人を犯してしまうこと。


もちろん『容疑者Xの献身』とシチュエーション自体は違うものの、愛する人を守るための自己犠牲の様子、取り調べでの嘘の供述など、ついついあのときの石神を思い出してしまった。


タイトルの『透明な螺旋』の螺旋はDNAを指すのだろう。実際、DNA関連の話がでた場面もあった。では、『透明』は何を指すのだろうか?


『透明』とは、物体が存在しているが、透き通って存在しないかのように感じられること。つまり合わせて考えるとタイトルは、『DNAという血の繋がりはもちろんあるが、それがなくとも同じような関係にはなれる』という意味ではないかと私は考えた。


まぁ間違ってるかもしれないし、拡大解釈だとは思うが、湯川親子、そして園香と秀美の関係を見ていると、この考えが一番しっくりきた。


ちなみに、『容疑者Xの献身』の感想でも述べたが、薔薇は、色や本数によって花言葉が変わる。ちなみに赤色は 「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」「美貌」


そして1本だと「一目ぼれ」「あなたしかいない」である。親と子の関係なんてまさしく「あなたしかいない」がぴったりだ。変わりなんていないんだ。


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